2012年1月22日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(55)

隅田川東岸/白鬚神社(しらひげじんじゃ) 
文:山尾かづひろ

白鬚神社




 








都区次(とくじ): 長命寺の次は寿老人の白鬚神社へ行きましょう。それにしても、ここの寿老人は寿老神として「神」の字を使っているのですが、どういう訳ですか?
江戸璃(えどり): 隅田川に七福神を仕立てたときに、近辺に寿老人を祀る寺が見当たらなくて、やむなく白鬚神社をその名称から寿老人に「こじつけ」た経緯があるのね、そこで隅田川七福神では、寿老神として「神」の字をあてているのよ。ちなみに「鬚」の字は「あごひげ」だから覚えといてね。
都区次:この神社の由来は何ですか?
江戸璃:今から千年余の昔の天暦5年(951)、慈恵大師(じえだいし)が関東に下ったときに近江国志賀郡境打颪(滋賀県高島市)琵琶湖湖畔に鎮座する白鬚神社の分霊をこの地に祀ったことが、白鬚神社の始まりだそうよ。祭神は猿田彦大神他六柱なのよ。
都区次:その慈恵大師とは、どんな方ですか?
江戸璃:慈恵大師は本来の名前を良源(りょうげん)と言って天台宗の僧侶で、比叡山延暦寺の中興の祖と言われていた人なのよ。慈恵大師は朝廷から贈られた名前だそうよ。また慈恵大師は、角大師(つのだいし)と言う名前もあって、慈恵大師が鬼の姿になって疫病神を追い払った時の姿と言われているのね。角が生え、目がグリグリッと丸く、口が耳まで裂け、あばら骨が浮いて見えるのよ。この姿を描いたお札は、門口に貼る魔除のお札として知られ、鬼守りとも呼ばれていて、どこかで見たことがあると思うわよ。
徳川家康のブレーンだった天海僧正(慈眼大師)は、この慈恵大師を最も尊敬していたそうよ。天台宗ではこの二人を両大師と呼ぶそうよ。いま「おみくじ」を引く人が並んでいるわね。

福詣小さき宮居に列なして  大矢雪江

この日本の「おみくじ」の原型をつくったのが慈恵大師だそうよ。
都区次: よく寺や神社に「おみくじ」を置いてゆきますが、あれは何ですか?
江戸璃: 「おみくじ」は持ち帰って差し支えないのよ。寺や神社に置いてゆくのは、凶をとどめ吉に転じるようにお願いする意味があるのよ。「おみくじ」で凶が出たときに「利き腕と反対の手で木の枝などに結ぶ」という方法があるのね。これは困難な行いを達成することによって、吉に転じるように願う一種の修行的な発想なのよ。
都区次:白鬚橋の上から隅田川を見てみませんか。

川の杭余さず都鳥が占む  大矢白星

江戸璃:都鳥が飛んでいないで、ほとんど杭に止っているわ。疲れちゃったのね。アハハ。

都鳥













大寒の白鬚橋を渡り切り  長屋璃子(ながやるりこ)
大寒や白鬚橋の軋み初む  山尾かづひろ