2012年4月8日日曜日

尾鷲歳時記(63)

夜の梅、朝の桜
内山思考

境内を映す甘茶の大薬缶  思考

伝説の絵手紙作家
清崎守人さんに頂いた一葉













妻が桜餅を食べている。僕はそれを見ている。甘いものが嫌いな訳ではなく、子供の頃から餡が好きだから、和菓子派なのは間違い無い。でも、桜餅や柏餅のあの湿度たっぷりの柔らかな感触がもう一つ好きになれないのだ。「ふふん」妻が口を動かしながら僕を見て笑う。「うまいか?」と聞くと「ふんっ」と鼻息混じりで返事をする。 幸せなことだ。僕にとって餡の究極はやはり虎屋のヨーカンである。あの重量感と存在感は菓子の王ではないかと思うぐらいだ。

以前、僕の知り合いで「からすみと虎屋のヨーカンは、買うものじゃない。あれは(贈答品で)貰うものだ」と豪語したお大尽がいたが、そんな身分になってみたいものである。だから、たまに「夜の梅」などが手に入ると、賞味期限いっぱい眺めて楽しみたいと願う。ところが天敵がいるのだ。妻である。ちょっと油断するとあっという間に三分の一ほど食べてしまう。そして 「美味しいものは早く食べなくちゃ」と言う。僕は「それもそうだな」と納得して、残りを妻と仲良く半分ずつ食べるのである。何だか不公平な気もするが…。


妙長寺の桜、右下の
御衣黄はこれから
もう一つ、僕が大好きなのが「キンツバ」で、こちらは幸いなことに妻は手を出さない。あの、さっくりとした歯応えとあまり甘さの濃くないところが夫婦の好みを分けているのである。嗜好とは不思議なものだ。おかげで「キンツバ」に関しては妻との「鍔迫り合い」は無い。昔、新宮市の大橋通りに「入船堂」という和菓子屋があって、そこのキンツバはとても美味しくて有名だった。鯛焼きや銅鑼焼きのように店先で焼きながら売っていたのを覚えている。知らない間に廃業してしまってあの味にもう逢えないのは何とも寂しいことである。

僕の高校時代の同級生で、歌手をしている周美(かねみ)さんの実家が、「入船堂」の隣りのおもちゃ屋で、いつだったか、キンツバの話をすると彼女は「わたしはよく裏口から入船に遊びにいったわ」と懐かしがった。僕は彼女が「入船堂」と言わず「入船」と省略したことでかえって彼女の少女時代が垣間見えたような気がしたものだ。色気ではなく食い気の方の甘ーい話である。