2012年6月24日日曜日

私のジャズ(77)

ハーレム、ニューヨーク
松澤 龍一

THE POPULAR DUKE ELINGTON
 (RCA BVCJ-7342)












ニューヨークに初めて仕事で行ったのは、35年も前のこと。当時、治安は最悪で、ニューヨークでは絶対に一人歩きをしてはいけないと何回も言われた。どうしても一人で歩かなければならない時は、生命保険のつもりで、胸ポケットに百ドル札一枚を入れておくように言われた。

なぜ胸ポケットなのか、なぜ百ドルなのか。先ずホールド・アップをされたら、上げたままの手で、胸のポケットを指さすこと、間違ってもズボンのポケットから財布を取り出そうとしてはいけない。銃を取り出すのかと勘違いされて撃たれる。百ドル以下の低額のお金だと相手が頭にきて撃つ。命が百ドルなら安いものだと思った。この習慣はニューヨークに限らず、アメリカの大都市を歩く時はしばらく励行していた。今にして思うに、ちょっと大げさだった。

ハーレム、言わずと知れたニューヨークのマンハッタン島の北部にあるアフリカ系アメリカ人の居住地区である。絶対に行ってはいけないところと言われた。足を踏み入れたら生きては帰れないとまで言われた。でも、そんな怖いところなら一度は覗いてみたいと思うのは観光客に限らずアメリカ人とて同じこと。そんなアメリカ人、特に白人を 対象にハーレムに作られたのがコットン・クラブと言う高級ナイトクラブである。客はすべて白人、ショーを行うのはすべて黒人で、音楽、舞踏を中心に黒人芸能のショー・ケースと言ったところ。なにやら吉原にある松葉屋の花魁ショーを思わせる。

このコットン・クラブを根城に長く音楽活動を続けた音楽家がいる。ピアニストで作曲家のデューク・エリントンと、彼が「私の楽器」と呼んだデューク・エリントン楽団である。デューク、男爵とあだ名される品の良さ、タキシードが似合ういでたちなど、彼がこの高級ナイト・クラブの専属として長く音楽活動を続けてきたあかしと言えよう。

デューク・エリントン楽団は多くのスター・プレーヤーを輩出した。その中でも出色の一人がアルト・サックスのジョニー・ホッジスである。これだけのスターでありながら、不思議と楽団を離れてソリストとして独立するとか、自分の楽団を持つとかと言ったことはせず、彼の音楽生活のほとんどすべてをデューク・エリントン楽団で過ごした。デューク・エリントンのマネージメントが良かったのか、あるいはコットン・クラブと言う定職がよっぽどおいしい仕事だったのか。ともかく、この二人はコットン・クラブと言う安定した職場で、ジャズに、黒人の文化に大きな貢献をしたことだけは間違いない。