2014年6月22日日曜日

尾鷲歳時記(178)

沖縄戦のこと
内山思考


 地を踏むは骨踏むことや沖縄忌   思考

那覇の古書店で
お宝発見













昭和20年6月23日は沖縄戦が終了した日とされる。しかし、実際はその後も戦闘は続いていたようだ。たびたび沖縄を訪れて観光目線が薄らぎ、やがてアパートを借りて沖縄で多くの時間を過ごすようになってから、僕は戦後七十年がこの地にはそんなに遠いものでないと気づいた。戦史を読んだあと街を歩くと、いたるところに激戦の地名が見られ、ああ空間はそのままそこに残っているのだと感じ、いつもは朗らかな知人たちに「戦争時はどうされてましたか」と聞くと、驚くような経験を昨日のことのように語り始めるのだった。

幼児だったケイコさんは、声を出してこちらの存在が知られるのを怖れた母親の手で、芋を押し込んだ口を塞がれたそうだ。隠れた蘇鉄の向こうを行く米兵の姿をはっきり覚えていると言った。それで窒息死した子もいたねと吐息をつくヒロコさんの父親は、小銃で撃たれ家族に思いを残しながら失血死した。その時、手当て出来なかった悔しさからヒロコさんは戦後苦学して看護師の道に進んだのだ。

産まれたばかりの子を抱いて山を逃げ惑ったナエ姉さんが「頭の上を艦砲の弾が飛ぶ音ときたら」と言ったあと目を瞑って首をすくめた時、ヒロコさんが「姉さん、あの時何処にいたの?」と問うた。同じ集落出身で八十年近い付き合いをしていても、当時のことにあまり触れないようだ。二人の会話に耳を傾けながらも僕は、興味本位でヒロコさんやナエさんたちのつらい記憶を引き出させたことを強く恥じた。

ケイコさん二人、ヒロコさん二人
古宇利島にて
そして、もっと以前に南風原(はえばる)陸軍壕を案内して貰ったUさんを思い出した。Uさんはこう言った。「ボクの叔父夫婦は行方知れずのままです。このあたりまで逃げて来たのは確かなんですが。だからここにあまり来たくない、叔父たちの骨を踏んでいるような気がするものですから」、「すいません」と恐縮しながらその時、僕の心の中に浮かんだのが冒頭の一句だったのである。