2014年8月24日日曜日

尾鷲歳時記(187)

理科の話 
内山思考 

投げられし林檎受け取る物理かな 思考

父の愛用していた
虫メガネ、レンズが重い









父は中学校の理科の教師だった。僕ももちろん父の授業を受けた。割とわかりやすい教え方だったと記憶しているが、とにかく照れくさかった。何か面白いことを言ってクラスの皆が爆笑しても僕は笑えなかった。父そのものが笑われている気がしたからだ。そんなに媚びを売らなくても、と苦々しい気持ちがした。中一の最初のテストでそれほど勉強したとは思わないのに隣の部屋で「オイ、晴雄が最高点やったぞ」と父が母に話しているのを聞いたが、それで調子に乗って頑張るほど素直でない僕は以後、父の期待を裏切り続けることになる。そして今、学問は楽しいのに何であんなに毛嫌いしたんやろ、と思うのだ。

「少年老い易く学成り難し」を身をもって実践したからこその得難い述懐である。でもその頃から理科という科目は嫌いではなかった。後年、和田悟朗さんにお会いして、初対面とは思えぬ親しみを覚えたのも、どこかに父の匂いを感じたからだろうか。でも本当は似てないところの方が多い。父は折り合いの悪かった父房吉が俳句好きだったこともあってか、大の俳句嫌いだった。よく、あれ(俳句)は見て来たような嘘を言うもんや、と言い「フーン」と聞いていた僕が半世紀後、俳句に関わっているのだから世の中は面白い。

和田さんの

うそ寒の水銀玉となりたがる  悟朗

和田博士の著訳書
の句を見た時は中学時代を思い出した。授業中誰かが水銀の入った小瓶を床に落としたのである。「常温で液状を呈する唯一の金属(広辞苑)」はたちまち零れ転げコロコロと逃げ回った。僕たちは授業そっちのけで千切ったノートで掬おうとしたが、回収率ははかばかしくなかった。その場面にいたのはもう一人いた理科の先生だったような気もする。先日、和田さんに『溶液の性質Ⅱ』(和田悟朗共著)をいただき、これで理学博士和田悟朗の著書訳書四冊が揃った。内容はとても難しいが、時々ページを繰って講義を受けている気分を味わっている。