2014年11月30日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(204)

谷中(その13)
文:山尾かづひろ 


観音寺本堂









都区次(とくじ): 前回は谷中の領玄寺(りょうげんじ)でしたが、今回はどこですか?

築地には綿虫の舞ふ日暮かな  小熊秀子

江戸璃(えどり): 今回も大矢白星師が8月のお盆休みに谷中を歩いた分のトレースの続きなのよ。というわけで谷中の観音寺へ行くわよ。観音寺は信義真言宗(しんぎしんごんしゅう)の寺院で、慶長年間(1596-1615)神田北寺町に創建され、延宝8年(1680)当地へ移転してきたそうよ。当初長福寺と称してものが、享保元年(1716)観音寺と改称したそうなのよ。赤穂浪士討入りに名を連ねた近松勘六行重と奥田貞右衛門行高がこの寺の6代目住職・朝山大和尚の兄弟であったことから、赤穂浪士討入りの会合にもよく使われ、討入り後には赤穂浪士供養塔が建立されたのよ。
都区次:観音寺の築地塀(ついじべい)は有名だそうですが、教えてください。
江戸璃:この築地塀は瓦と土を交互に積み重ねて造った土塀に屋根瓦を乗せてあるのよ。今では、全国にもそう残っていない貴重なものだそうよ。寸法的には長さが約37メートル、高さが約2メートル。幕末に出来上がったそうよ。


観音寺の築地塀













山茶花や彩りはやも残影に   長屋璃子
烏瓜赤くなるよな半生来    山尾かづひろ