2015年4月13日月曜日

尾鷲歳時記(220)

花と葉、鼻と歯
内山思考 

春雨の全滴明かし大安日  思考

雨の桜には
「滲みの美」がある









雨だ曇りだとしばらく青空を見ない天候状態なのに、今年の桜はなかなかしぶとくて、街路や山腹に咲いているのを見かけるたびに、枝枝の葉が出番を待ちかねて「早く早く」と足踏みをしている気がする。全国的に気温がなかなか上がらないせいで植物界の営みも緩慢なのであろう。関東では遅がけの雪も降ったそうだ。今、小雨の中、わが庭の霧島ツツジは真っ赤な花芽を一杯つけているし、牡丹と来たら、蕾の宝珠を捧げた観音様のようにたおやかに立っている。これで快晴温暖の陽気が一度にやって来たら、たちまちに開花してしまうだろう。

そうなるともう春風は、吹くたびに天人五衰を急がせるばかりだ。咲く花が宝物なら、そこへ到るまでの過程は「宝ごと」である。その味わいこそ人生の醍醐味だから、いつまでもダラダラ寒いのは嫌(朝からストーブつけっぱなし)だけれど、たまに障子を開けてガラス戸の向こうの庭の色付きを眺め、この状態が少しでも長く続けばいいのにと思ったりもするのである。

ところで、僕の多くの「宝ごと」の一つに食生活がある。味の濃いもの辛いもの以外に好き嫌いは無く、全てご馳走思考だが、四季折々の山海の恵みには、もともと崩れがちの相好がいよいよ崩壊する。先日、恵子の友人が摘みたて湯掻きたてのワラビを山の如く持ってきてくれた時など、恵比寿に大黒に福禄寿を足した顔になっていたに違いない。早速、地元名産カツオ生節と油揚げとの煮物、それに味噌汁の実にしてシャキシャキとした至福の歯触りを充分に堪能した。

左・ワラビ汁、右・煮物
やがてタケノコも出回ってくる。山菜の王タラの芽も、一度や二度は空を飛んで(これも他人任せ)やって来るやも知れず、晩春に向けて期待は大きくなるばかりである。白状するとかなり歯の具合が悪く、粛々と歯科通いをしている身だ。でも和田悟朗さんの「卒寿過ぎても自分の歯」には到底及ばぬまでも、まだまだ五感と食感は強く保ちたいと願っている。