2011年4月3日日曜日

尾鷲歳時記(11)

恋の力、歌の力 
内山 思考


 春愁や巻かれてみたい渦がある   思考


夕闇迫る八鬼山遠景 熊野古道の難所だった















「尾鷲よいとこ朝日を受けてヨイソレ 浦で五丈の網を引くノンノコサイサイ…」 ヤサホラエー、ヤサホラエーの囃子で歌い出される尾鷲(おわせ)節は、もともと、漁師たちの舟歌だったが、それに道中唄の「なしょまま節」が加わり、今の形になったと言われる。大正六年に「尾鷲節」としてレコード化され、昭和二十九年、産経新聞主催・都道府県対抗民謡大会で好成績をおさめ、一躍、全国的になった。

哀愁を帯びたメロディーは、根っからの尾鷲っ子でない僕の胸にも染みる。特に好きなのは、「ままになるならあの八鬼山をヨイソレ 鍬でならして通わせるノンノコサイサイ」の部分だ。 これを男の気持ちだと言う人もいるが、やはり女性が男を通わせる、とするのが正解だろう。女性の情念はそれほど強いのだ。

ところで、沖縄の琉歌にも 「恩納岳あがた 里が生まれ島 もりもおしのけて こがたなさな」というのがある。 里(サトゥ)は恋しい男、島は村、山の向こうの村を森を押しのけてでもこっちへ引き寄せたい、というブルドーザー並みの恋心である。 「ムインウシヌキティ クガタナサナ」 沖縄のイントネーションで口ずさむと、一途な想いがよく伝わってくる。

一途な想いと言えば、僕の知っている沖縄の小父さんは、むかし好きな娘がいて、自転車で三時間もかけて通い詰めたそうである。うまく話が出来た日は鼻歌混じりで風のように帰ったが、そうでない時は、情けなくて泣きベソをかきながら自転車を押したもんだ、と笑う。
小父さんに貰った三線(修理中)









 その娘と連れ添ってはや半世紀、先日、那覇の自宅にお邪魔すると、三線を弾いて夫婦仲良く唄ってくれた。