2011年4月10日日曜日

俳枕 江戸から東京へ (15)

日本橋・銀座界隈/水天宮
文:山尾かづひろ

都区次(とくじ): 次は日本橋蛎殻町の東京水天宮へ行ってみましょう。東京水天宮は安産の神様として知れ渡っています。関門海峡の壇ノ浦へ旅をしますと、関連の名所として久留米に水天宮がありますが、それとの関係は何ですか?
江戸璃(えどり): もともと水天宮は源平最後の合戦壇ノ浦で安徳天皇が祖母の二位の尼に抱かれ入水したが、天皇の母・建礼門院に仕えた官女・伊勢(いせ)が二位の尼より生きて平家一門の霊を慰めよとの命を受け筑後川の辺りに逃れ、祠を建てたのがはじまりなのね。その後、久留米藩第二代藩主有馬忠頼公により社殿が建てられ、水天宮「本宮」として今につづいているのよ。文政元年(1818)有馬公が参勤交代で江戸詰となってもお参りができるようにと、江戸藩邸の中に分霊を祀ったのが東京水天宮の起源なのよ。
都区次:江戸璃さんがよく言う「情けありまの水天宮」には何か謂れがあるのですか?
江戸璃:この藩邸の分霊には結構ご利益があったらしいのね。ところがギッチョンチョン、当初の状況は殿様の屋敷神で、一般の人はお参りできなかった。塀越しに賽銭を投げ込む人が多くなったため、やがて開放日をもうけることにしたのね。そんな屋敷の名が有馬家だったので江戸っ子の間では、情けがあるということを「情けありまの水天宮」と洒落て言うのが流行ったのよ。

(東京水天宮にて)
きりぎりす鳴くやつづいて赤子なく 小林一茶
手水舎の水の温みし水天宮 山尾かづひろ