2011年4月17日日曜日

私のジャズ (16)

カンザスシティ、大阪のミナミやぁー 
松澤 龍一

KANSAS CITY REVISITED
(United Artists USA-5008)












カンザスシティ、アメリカ合衆国の人口にして37番目の都市である。ミシシッピー川の支流のミズーリ川、又その支流のカンザス川に面している。いわゆるディープサウスと呼ばれるアメリカ中西部の典型的な都市である。残念ながら行ったことは無い。昔、仕事で同じ中西部のメンフィスには数回行ったことがある。やたらと黒人が目立つところである。ダウンタウンには、有名なB.B.キングのブルースハウスを始めとして、ブルースのライブハウスが林立している。ここでバーボンを呷りながらブルースを聴いていると、大阪の通天閣の下で、ソース一回漬けの串カツでビール、聞こえてくるのは中村美津子の演歌のような気がしてくるから不思議だ。カンザスシティもきっとこんなところに違いない。

このカンザスシティにブルースの香りに満ちた音楽が生まれた。カンザスシティジャズと呼ばれている。禁酒法時代でも、トム・ペンダーガストと言う大ボスのお陰で、禁酒法は一切無視され、連日連夜、多くのナイトクラブは大盛況だったそうである。そんな酔客達に育てられたのがカンザスシティジャズであり、カウント・ベイシー楽団だった。カウント・ベイシーは通常のビッグバンド編成以外にもメンバーをピックアップして7人編成のコンボで多くの録音を残している。カンザスシティセブンと呼ばれ、レスター・ヤングやハーシャル・エバンスのようなスタープレーヤーが思う存分ソロをとっている。

表記のレコードは、このカンザスシティセブンのものでは無い。バルブトロンボーン奏者のボブ・ブルックメイヤーがカンザスシティセブンを模して編成したコンボのものである。面白いのはボブ・ブルックメイヤーを始めとして、テナーのアル・コーン、ポール・クニシェット、ギターのジム・ホールの主だったプレーヤーが全員白人のところである。つまり、白人のプレーヤーが、もっとも黒っぽいジャズであるカンザスシティジャズを演奏している。

カンザスシティにはカウント・ベイシーと並ぶビッグバンドにジェイ・マクシャン楽団があった。そこで二十歳そこそこのアルト奏者が斬新なソロをとっている。チャーリー・パーカーの初吹き込みとされているものだ。

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追加掲載(120104)
禁酒法時代の狂乱のカンサス・シティ?