2011年6月12日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(24)

上野界隈/東叡山寛永寺
文 : 山尾かづひろ  挿絵 : 矢野さとし

上野駅









【東叡山寛永寺】
都区次(とくじ): 上野駅は東京の北の玄関として歌謡曲に出てきたりして独特の雰囲気があります。歴史的に上野のシンボルといえば寛永寺でしょう。この寛永寺が建てられた訳は何ですか?
江戸璃(えどり): 三代将軍徳川家光の時代に太田道灌以来の江戸城の改築が終って、余った西の丸の旧材と費用を家康以来のブレーンの天海僧正に託したのよ。天海は上野が江戸城から見て陰陽道上の鬼門に当るとして、鬼門除けに寛永寺を建てたのよ。
都区次: 不忍池の弁天堂は寛永寺の堂宇の一つなのですが、この関係は何ですか?
江戸璃:寛永寺は寛永2年(1625)の創建で、寺号は当時の年号から付けたというのはすぐ分るわね。天海は元々比叡山延暦寺系の僧侶で、京の都の鬼門(北東)を守る比叡山に対して「東の比叡山」という意味で山号を「東叡山」としたのよ。比叡山なら琵琶湖が無くてはならぬとばかりに、不忍池を琵琶湖に見立てて、綺麗に整備させ、さらに竹生島になぞらえて弁天島を築かせて弁天堂を造ったのよ。
都区次:不忍池が琵琶湖ですか。
江戸璃: 本当に「恐れ入谷の鬼子母神」よね。


不忍池弁天堂





















暮しばし玉降雨の蓮かな 大島蓼太(おおしまりょうた)
弦固き弁天の琵琶秋の蟬  山尾かづひろ