2011年7月24日日曜日

尾鷲歳時記(27)

えんとつとエンピツ
内山思考

炎帝に愛され野球少年ら  思考 


最近廃業した銭湯の煙突












ボイラーや温水器など、家庭用の給湯設備が普及して、薪で焚くいわゆる「五右衛門風呂」をあまり見かけなくなった。僕の子供の頃は、内風呂のない家もあったから「貰い風呂」をしたものだ。向こう三軒両隣、ことさら恩に着せず、卑屈にもならず、さして裕福でない生活を互いに助け合って暮らした時代であった。

五右衛門風呂の底板は大抵、ヒノキで作られていて、これを足で踏んで沈めてゆき、少しずらして固定するわけだが、釜自体が熱くなっているので結構、入浴するにもコツがいったような気がする。最近の底板は多分、FRP製だと思う。昔の 町には銭湯(風呂屋)もいくつかあり、やはり湯船が大きいので、ゆっくり手足を伸ばすことができた。顔見知りに出会うと世間話に花が咲いて長風呂になってしまったり、湯上がりにラムネやコーヒー牛乳をグイグイと飲んだり、と家庭の風呂では味わえない開放感があり、銭湯は僕にとって明るい印象がある。

これを進化させたものが、最近、都会で流行りのいわゆる「スーパー銭湯」だ。こちらは家族が車で乗り付けて、食事に買い物、歌謡ショーまで楽しめ一日中でもいられるかわりに、出費もかさみ、そうそうは行けない。 尾鷲の町の銭湯も客の減少や設備の老朽化で次々に廃業し、現在、一軒残っているだけである。時代の流れとは言え、昭和の面影が薄れて行くようでなんだか淋しい。

鉛筆と愛用の文鎮

でも、熊野古道センターの近くに「夢古道の湯」という海洋深層水を使った温浴施設が出来て、そこは地元だけでなく観光に訪れた人にも人気であることを添えておきたい。 実は今日、銭湯の煙突を見ていて連想したのが「鉛筆」で、考えてみると語呂も似ているが、どちらも円柱形で中心部に煤(すす)と黒鉛、つまり炭素が入っているところも同じだ。 僕は原稿のほとんどを鉛筆で書く、2B、4Bなどを手回しの鉛筆削り器でゴリゴリ尖らせながら書いた方が脳みそも機嫌よく働いてくれそうに思うからだ。 さて、一段落したら久しぶりに銭湯へ行ってみよう。