内山思考
魂がワイン素潜りして遊ぶ 思考
尾鷲市内の希望通り |
千葉県からやって来たという不思議なお爺さんに出会った。 市内の某所で偶然、一時間ほど話す機会があったのだ。無論、初対面である。 自分は八十歳で、関東方面に四つの会社を持っている、年商は十億ぐらいかな、ハハハ、と笑った。「わぁ凄いですね。それにお若い」 と一応、当たり障りのない相槌をうつ。
「尾鷲に来るのは初めてなんだけど、何も無いところだね」
「ハア」
「駅で降りてね、タクシーの運ちゃんに、どこか面白い観光名所はないのか、と聞いたら、無いっていうんだよ」
「ハア」
「で、市内を二回グルッと回って貰ったんだけど本当に何も無い。でもね、そこがいいんだよ。何も無いところがいい。綺麗な海と山がこんなに近くにある。それだけでも素晴らしいんだよ」
「そうでしょうか」
「そうだよ。地方の人はさ。余所から旅行客を呼び込もうとして、いろいろ知恵をしぼるだろ。あれがよくない」
「ハア、でも…」
「アナタね、お客さんが来た時、何も御座いませんが、と言って精一杯のもてなしをするのが日本人のこころなんだよ」
「なるほど」
「妙な下心で、取って付けたような接待してもね。その時は喜んでも二度は来ない」
「…」
「特産品なんて考えてすぐに出来るものじゃないの、ね?例えばおふくろの味って日常的な食べ物でしょ。離れて暮らすとそれが無性に恋しくなる。つまり歴史が必要なんだよ物事には」
名物くき漬け (八頭の茎を塩漬けし、 赤紫蘇で色を付けたもの) |
いちいちごもっともな話である。 持っている宝に気がつかないで遠くのものばかり欲しがる、そんな感じかな、とも思う。 別れ際に 「また尾鷲に来て下さいますか?」 と問うと、お爺さんは「フフ」 と笑って空を見上げた。