2011年8月7日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(32)

浅草界隈/酉の市・浄閑寺(投込寺)
文:山尾かづひろ  


酉の市














都区次(とくじ): 鷲神社(おおとりじんじゃ)と言えば酉の市ですが、今年は「三の酉」ですか?
江戸璃(えどり): 11月2日が酉の日で「一の酉」、その12日後の11月14日が「二の酉」で、その12日後が11月26日だから「三の酉」だわね。
都区次: 「三の酉」には火事が多いと言いますが?
江戸璃: これは酉の市の帰りに男性が吉原に寄ることが多くて、留守をあずかる女性としては、何とかして亭主を家に引きもどさなければならない。まして、酉の市が3回もあったのじゃ、たまったものじゃないわよ。それで「三の酉」には「火事が多い」とか「吉原に異変が起こる」という俗信をつくって亭主の足を引き止めようとしたのよ。
都区次: 「吉原の異変」というと投込寺の浄閑寺を思い浮かべますが?
江戸璃: 浄閑寺は花又花酔の「生まれては苦界、死しては浄閑寺」の川柳で有名よね。俗説が多いけど、浄閑寺のホームページによると安政2年(1855)の大地震の際にたくさんの吉原の遊女が投げ込むように葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになったそうよ。
浄閑寺(投込寺)








 
針納む寺と投込寺隣る      大矢白星
お女郎の墓を密閉冬の蜘蛛  山尾かづひろ