2011年9月25日日曜日

尾鷲歳時記 (35)

秋のつれづれに
内山思考

濁流の果ての花野の人となる 思考 

玄関を出たらすぐこの風景


















彼岸花が咲き始めた。 ああ、もうそんな季節になったのだ。このところの長雨が彼らの生長をうながしたのだろう。 「かしこいねぇ、土の中にいても咲く時期がわかるんだね」 と隣りの奥さんは感に耐えぬ表情だ。 そう言えば昨年も、ひょっとしたらその前の年も、同じ会話をしたような気がする。

いろんな草花が暦や時計を持たずに示し合わせたように萌え、咲くが、彼岸花のあの独特の赤い花を最初に見つけた時に一番、自然の働きの正解さに感動するのは何故なのか。確かに 登場の仕方がドラマチックではある。 大合唱していた蝉が徐々にトーンダウンし、やがてツクツクボーシのソロがかすれ始めた頃、夏の残像を打ち消すように、突如、鮮烈に現れる。 「彼岸が近い」 と思い。そして、 「ああ、もうそんな季節に…」 「かしこいねぇ」となるわけだ。

嫌いではないが、あまり親しみの持てる花でもない。彼岸花、曼珠沙華の他に死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花、捨子花、とまあ、よくこんな愛らしくない呼び名ばかりつけたものだ、と哀れになってしまう。有毒植物なのも災いしているのだろう。 毒があってかぶれるから、と親に繰り返し注意され僕は一度も触れたことがない、だから「曼珠沙華抱くほどとれど母恋し・汀女」の句を最初に見た時は驚いた。

汀女さんはかぶれなかったのだろうか、それとも教えてくれるお母さんがいなかったから、毒花と知らず摘みためたのだろうか。妖しさを持つ花だからこそ、この句は生きていると言える。

雨に咲く白花曼珠沙華、
妙長寺にて
実は、先の台風12号による豪雨で、僕の実家のある奈良県十津川村や中学高校時代を過ごした和歌山県那智勝浦町が大災害を受けた。 幼なじみのKちゃんが鉄砲水で流され家族と共に行方不明、同級生だったT君は奥さんと娘さんを失った。今年の彼岸花はことに切なく眼に映る。