2011年11月13日日曜日

尾鷲歳時記 (42)

道具について
内山思考


斧振るう僧に無想の冬流れ  思考 

尾鷲の木挽が使っていた大鋸









人類の起源が本当に猿だとすれば、まず二足歩行になった時点で猿から人への大きな進歩があったわけである。 次いで、それによって両手が空いたから物を手に取る行為が始まり、じっくり何かを観察できるようになった。 そしてある頃ある日、素晴らしい力を持つ「火」を保管する技術を身に付けたのだ。他の獣や寒さから取り敢えず身を守る安全な時間を得て、彼らは頼もしい炎を眺めながら「考える」ことを始め、個体ごとの性質、つまり個性を持つに至った。

 とまあ、ここまでは専門的知識を持たない素人の推測に過ぎないので、間違っていたらご先祖様ごめんなさい。 一息に書いてしまうと、一匹が一人になるのにそれほど年数がかからないような錯覚に陥るけれど、仮定が事実なら何代も何代もかかって僅かづつ変化していったのだろう。(前置きが長くなった)そして近代、人類の使う道具は奇跡的に進化した。

ところで僕は、いつも文化文明の最先端から多少遅れたところを歩いているような気がする。 子供の頃から、廻りのみんなが遊んだり騒いだりする「物事」があるのに気付き、ようやくその波(ブーム)に乗ろうとする時分には、世間の熱(フィーバー)は醒めていて、結局、余計な買い物をせずにすむことしばしであった。 ケータイ電話、パソコン、車なども生活内にあるにはあっても、いずれも旧式と言っていいものばかりだ。もっともそれは経済的理由によるところも大きい。

船腹に付いた蠣殻を
削る鑿
ああ、今回は何を書いているのか。結局、僕は人間自身が動力源となって結果を生み出す「道具」「仕事」を好むのである。ただし、手のひらで掬う水の如く、この前提から漏れる事柄が沢山あるのも承知している。 「体を使える人」が世の中から急速に減少していることをとても憂えているのだ僕は。