2011年12月25日日曜日

尾鷲歳時記(48)

秋刀魚の時間
内山思考

沈みゆくもの歳晩の秒針も  思考


町の魚屋さんのサンマすだれ



 











今年は例年より遅く、サンマの干物が魚屋さんの軒先に簾のように干され始めた。 少し塩を効かせてから、内臓を取らずそのまま尾をビニール紐などで結わえ、二匹、あるいは四匹を振り分けにして吊し、寒風にさらす。いわゆる丸干しである。 サンマと言えば、関東では脂の乗ってよく肥えた新鮮なのを、煙を出しながらジュージュー焼いて大根おろし、のイメージだろう。

ところが、僕たち紀州の者には、脂の抜けた丸干しをサッと炙って、歯で毟って食べる冬の味覚なのである。 だから「秋刀魚」ではなく、「冬刀魚」もしくは「冬剣魚」の字を充てたいぐらいなのである。形状もそれに似ているし。 まだまだ、年が明けて寒になればもっと旨味が出てくる。 俗にこの辺りでは水分が抜けて堅くなったものを「カンピンタン」と呼び、二本を両手で持って打ち鳴らせば、寒、寒と音がするぐらいである。これを特に好む人もいて、僕もその一人。

今年の初めには、知人のNさんが、サンマを桜の木でいぶした「燻製」を持って来てくれ、それがまた身震いするほど美味だったことをこのコラムに書いた記憶がある。あれをまた味わってみたい、というのが今、沢山ある僕の夢の一つである。 ここでふと、僕に食べられる一匹のサンマの時間を戻してみることを思いついた。

近所の奥さんも
これから丸干し作り
 口から箸で摘(つま)み出されたサンマの肉片は皿の上の骨に徐々に魚の形を造っていく、やがて妻の手が皿を取り上げてグリルへ入れ、丸干しの状態から新聞紙にくるまれ魚屋さんへ行き、干されて生に戻ると、港で沢山の仲間と合流、氷詰めにされて船で沖へと向かう。そして網で掬われて海へ帰され大海を泳ぎだすのだ。そんな空想に耽ると、一匹のサンマと一庶民との邂逅に不思議な感動すら覚えてしまう。僕の「サンマ・タイム」はこれから本番を迎える。