2012年1月29日日曜日

尾鷲歳時記(53)

福西正幸さん
内山 思考

湖をこぼさぬように冬の山  思考 

戦時中のホトトギス













朝日選書「忘れ得ぬ俳句」・野見山朱鳥著に尾鷲の俳人、福西正幸(せうこう)さんの名がある。 今、書架を探したが何処かに埋没してしまい、行方不明なので子細はよく思い出せないが、懐かしい俳人として取り上げられていたと記憶する。「ホトトギス」は第二次大戦中も粗悪な紙質ながら発行されていて、雑詠欄には戦地からの投句もかなり含まれていた。

例えば(マニラ・暁雪)(ハルピン・了咲)(中支派遣・きみ男)(〓〓丸・文彦)といった具合である。地名が〓になっているものが多いのは、配属先が極秘にされていたためであろう。なかには(〓隊・故某)と書かれたものもあり、投句後に戦死したと推測される。兵隊や将校による生々しい戦場俳句は本土にいる読者に臨場感と緊張感を持って鑑賞されたに違いない。

この時期のホトトギス誌上に福西正幸さんは彗星のように現れて常に虚子選の上位を占めた。昭和二十年一月号でも

夜光蟲鏤む潮に轉舵急
白手套五指の止と刀捧ぐ

で巻頭を得ている。地名は(南支派遣)とあり、その左には「句狂」「爽雨」「素十」「素逝」の名が続く。

福西さんの油絵
僕が晩年の福西さんを訪ねたのはもう二十年も前のこと、絵画にも才能を発揮されていた福西さんの部屋には沢山の油絵が並んでいた。にこやかにいろんな思い出話をして下さったが、なかでも印象深かったのは、戦後、虚子を迎えて志摩かどこかで句会をした時、出句の中に「海女とても陸こそよけれ桃の花」というのがあり、ほとんど全員がその句を取ったという逸話だった。

もちろん今ではよく知られた虚子の句である。「その頃の田舎の俳人は、そんな言葉使いの俳句を見たことがないから、みんなビックリしてその句を取ったんだよ」と福西さんはとても愉快そうに話しておられた。