2012年2月19日日曜日

尾鷲歳時記(56)

食について
内山思考

木の国を春雪童子笑い過ぐ  思考

玄米のおにぎり、小豆入り

食べ物の好き嫌いが無いのは父に似て、時折、風邪を引く以外病気知らずなのは母に似ているようだ。有り難いことである。僕は初めて食べる物でも、視覚、嗅覚だけで判断せずに、口に入れて咀嚼しながら食感や味覚をプラスしてランクを決めるのが自然だと考えているので、いつもそうしている。それから、また味わってみたいとか、二度と出会わなくてもいいなどと思うのである。

要するに「食わず嫌い」をする性分ではない。箸でつまんで眺め回して、匂いを嗅いだ後、恐る恐る口先でかじったりするタレントをテレビで見ると、僕は大いに不愉快になりチャンネルを切り替える。しかし、あれは脚色なのかも知れない。ただ、苦手なものが無いわけではなく、やたら濃い味付けとアルコールを含んだ食べ物、飲み物には尻尾を巻く。だって奈良漬けを食べただけで酔ってしまうのだから仕様がないし、例えば焼き肉はすでにタレをまぶしてテーブルに運ばれてくるのに、それを焼いた後にもう一度タレにつけるのは合点がいかない。第一、アッサリしている方が沢山食べられるではないか。

我が家では、豚肉の薄切りを湯がいて皿に盛り、ポン酢をかけたものを「ブタポン」と呼び、ことに夏場に好んで食べる。付け合わせはスライスした胡瓜かサッと湯通ししたもやしがいい。これを、どんぶり飯で、一度に一キロ近く食べたこともある。大食らいを自慢するようで恥ずかしいが、つまりそれだけ食が進むと言うことだ。知り合いに玄米食志向の人がいて、白米や魚肉をほとんど食べず、玄米と自然塩を使った梅干し、漬け物ぐらいで健康に明朗に暮らしておられる。僕はその姿にある種の憧れを覚え、自分も専用の釜やら何やら揃えたものの長続きしなかった。
晩白柚とポンカン

やはり多彩な副食物の魅力は捨てがたいのである。玄米には豊かな栄養分が含まれいるため昔の武士は合戦が始まると、一升飯を食い味噌を嘗めながら戦ったらしいが、それは食事というより「燃料」と呼ぶべきだろう。今日、妻が「晩白柚(ばんぺいゆ)」を貰ってきた。大きくてとても美味な蜜柑だがほとんどが皮、という代物で、我が家では僕がもっぱら剥き役となっている。