2012年2月5日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(57)

隅田川東岸/多聞寺(たもんじ) 
文:山尾かづひろ 

多聞寺














都区次(とくじ): それでは百花園から毘沙門天の多聞寺へ行ってみましょう。
江戸璃(えどり): 先ず山門が見えてきたけれど、茅葺の四脚門は江戸時代中期のもので、度重なる火災や震災を免れたのね。驚きよね!もちろん、墨田区最古の木造建築物なのよ。
都区次: ところで「多聞寺」という寺号ですが、これはどこから来ているのですか?
江戸璃:この寺の歴史は至って古くて、平安中期の草創でね、以前の本尊は不動明王であったけれど、後で毘沙門天となったのね。毘沙門天は別名「多聞天」、帝釈天に仕える四天王の一人で北の守護神なのね。寺号の「多聞寺」もそこからきているのよ。この毘沙門天が山内に住んでいた古狸を退治したとの伝説があってね、「多聞寺」は別名狸寺とも言うのよ。狸を葬った塚も残されているわよ。
都区次:山門脇の石碑の「隅田川七福神之内毘沙門天」の字は榎本武揚の書だそうですが、何でこの地に榎本武揚が関係しているのですか?
江戸璃:武揚は天保7年(1836)下谷三味線堀の生れで、幕府に仕えて江戸開城の際には海軍副総裁の要職にあったのね。官軍に対抗して函館の五稜郭に立てこもったのよ。後に許されて明治政府の高官を歴任、晩年は向島に住んで悠々自適の日々を送ったので、「多聞寺」の碑などを手がけたのよ。

福詣果つ万歩計万刻み  大矢白星

ここからは鐘が淵駅に出て東武電車で帰るわよ。浅草の神谷バーに寄って「電気ブラン」で反省会をしましょう。
多聞寺の山門













浅春や完全武装の毘沙門天 長屋璃子(ながやるりこ)
福詣狸塚とか穴のぞく 山尾かづひろ