2012年3月4日日曜日

尾鷲歳時記(58)

母のこと 
内山思考

ふきのとう山の言葉は水にとけ  思考


昭和36年刊行の
「十津川の歴史」













僕の母は大正10年2月27日の生まれ、先日91才になった。父と同じ奈良県十津川村の出身で父とは見合い結婚だったそうだ。母の実家は昨年、未曽有の台風災害があった国道168号線沿いの、湯泉地(とうせんじ)温泉から支流を上がった武蔵という集落で、深い杉の森の中、車一台がやっと通る急峻な山道をしばらく行くと、いきなり視野が開けて、1キロ四方の平地が現れる、そんなところである。ここは「日本一静かな場所」としてNHKで取り上げられたこともあったように記憶している。たしかバイオリニストの千住真理子さんが訪れ、素敵な演奏を聴かせてくれる企画だった。

十津川は南北朝の時代から、日本の歴史にたびたび係わってきた土地柄で、母の生家のすぐ近くにも、楠木正成の孫、楠木正勝の墓所があり、苔むした五輪塔が立っている。正勝は虚無僧の元祖とも言われているらしく、例の深編み笠の虚無僧がたくさん集まって、尺八を吹く催しがあったりもしたようだ。落ち延びて、楠木家の再興を願いつつ悲運の最後を遂げたと聞くが、それにしては、意外なほど見通しのいい明るい場所である。旧蹟として整備されていることもあるだろう、しかし、それでも陰気を感じないのは、彼が里の住人に愛されていた証拠ではないか、と僕は思っている。

新宮市での母「昭28暮」とある。
ねんねこの中が僕
子供の頃、母の里帰りにくっついて武蔵に来ると、親類とは言え、他家の日常に客として加わる気恥ずかしさをいつも感じたが、伯父伯母、従兄弟たちは家族が一人二人増えたぐらいの気安さで接してくれ、僕はいつの間にか、打ち解けていったものである。深夜に及んだ従兄の結婚式、母も踊っていた盆踊り、山の上の墓参り、懐かしい記憶は、月日と共に上質の酒のように熟成して僕を酔わせてくれる(現実では下戸だが)。

今、この文をケータイのメールで書いていて、人生の長旅を終えた母は隣りの部屋で安らかに眠っている。思えば歌うことも声を荒げることもほとんどなく、生まれ故郷のように静かな人だった。母にはほんとうに感謝の気持ちで一杯である。もうすぐ夜が明ける頃だ。