松澤 龍一
The Immortal LESTER YOUNG (Savoy MG 12068) |
上掲の写真はサボイから出されたレスター・ヤングのレコードのジャケットである。気に入っているレコード・ジャケットの一つ。テナー・サックスの上に帽子がちょこんと載せられているだけの単純な写真だが、いかにも楽しそうな音楽が聞こえてきそうだ。
レスター・ヤング、黒人のテナー・サックス奏者。黒人とのことだが写真を見る限り、100パーセントのニグロではなさそうだ。どこかとの混血かと思うが、はっきりはしない。コールマン・ホ―キンスに代表されるビブラートをたっぶりと利かせた音色、豪放に立て乗りリズムでスイングする奏法の全盛時代に、突如現れた、そのまるっきり反対のテナー奏者がレスター・ヤングだった。ビブラートは少なく、むしろノン・ビブラート奏法に近い、フレージングもスタッカートよりスラーを主体としたもの。
カウント・ベイシー楽団に雇われたことが彼のジャズ・プレヤ―としての実質的なデビューとなる。当時のベイシー楽団にはハーシャル・エバンスと言うコールマン・ホ―キンス系のテナーの名手がいた。このコールマン・ホ―キンス系のテナーにレスター・ヤングのような異色のテナーをぶつけると言った狙いがあったのだろう。この狙いは大成功を収めた。事実、この二人のテナーが在籍していた時代がカウント・ベイシー楽団の全盛期と言ってもおかしくないだろう。
レスター・ヤングはカウント・ベイシー楽団やそのピックアップ・メンバーのコンボであるカンサス・シティ・セブンなどで多くの名演を残しているが、彼の極めつけは何と言ってもビリー・ホリデイとのコラボレーションだ。ビリー・ホリデイの初期の録音の多くにレスター・ヤングが参加をしている。この時期、私生活でもこの二人は同棲をしていたとのことである。下の音源はビリー・ホリデイの初期の名演、Me Myself And I だが、最初、ビリー・ホリデイが唄い、その後、トランペット、クラリネット、ピアノのソロが続く。これらのソロはスタッカートで立て乗りの典型的なスイング・ジャズ時代のフレージング。
レスターはソロは取らずビリー・ホリデイのセカンド・コーラスに絡んでくる。この絡みは息をのむほど素晴らしい。ビリーとレスターがなんとしなやかに歌うこと。このようなスラーを主体としたしなやかなフレージングがチャーリー・パーカーを経て後のモダン・ジャズへと引き継がれて行く。その意味ではレスターはモダン・ジャズの父と言ってよかろう。さしずめ母はビリー・ホリデイか。