2012年7月1日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(78)

田町駅西口(その4)
文:山尾かづひろ

堤防上を走る汽車


 








都区次(とくじ): 前回の(その3)「西郷・勝会見の地」の薩摩藩の「蔵屋敷」の話で、この辺が海岸だったというのは分ったのですが、東側を走っているJR線が理解できません。この線路は明治5年に新橋~横浜に開通した鉄道と場所的に同じものですか? そうだとすると列車は海の上を走っていたことになりますよね。


峰雲や文字も雄雄しく会見碑  佐藤照美


江戸璃(えどり): その通り。強引に線路を敷いたわけよ。新政府は新制度を意気込んで実施に移したけれど、中でも黒煙を噴き轟音を発して疾走する汽車は新政府の象徴的なものだったのよ。旧東海道に沿って陸中を走らせる計画で測量を始めたわけよ。ところが「ギッチョンチョン」軍部が軍事上の理由から反対して、中心になっている薩摩閥が藩邸内の測量をさせなかったのね、それで海中に堤防を築いて、その上に汽車を走らせたのよ。当時の絵を見るとよく分るわよ。鉄道の開通で魚問屋は料亭・茶屋に転業して花街になったのよ。岸と堤防の間は入江として使われてね、ちょっと先に行くと「雑魚場架道橋」というJRのガードと通路になっているけれど、昔は入江から海へ出られる水路で、粋な人達が船で出掛けて行ったわよ。今は入江も埋立てられて想像もつかないわね。

埋立てられた入江











花街も和船も昔五月雨るる 長屋璃子(ながやるりこ)
入江埋め公園となる梅雨燕 山尾かづひろ