大畑 等
序-芍薬忌
序-芍薬忌
うどん屋まで何米の憂き我ぞ 耕衣 『殺祖』より
私の愛唱句のひとつ。「うどん屋」から「憂き」まで駆け抜けていく速度、激しさに圧倒されるのだ。ことばが音である以上、言葉のもつ速度は音速を上限とする、こんなふうに考えると、この句にはそれを激しく超えていく迅さがある。
禅では師が弟子に胸ぐらを掴んで、「佛とは何か、云え、云え」と迫る。弟子は「前庭の柏樹子」と云い、「糞かきべら」と云う。そう、この耕衣の句には「うどん屋」と「憂き」を示しておいて、その間の空白を「云え、云え」と迫ってくる激しさをもっているのだ。言葉を越えて「云え、云え」と。
耕衣の迅さ、激しさは彼の書画にも現れる。私たちには、書画に端的に感じられるのだが、耕衣のなかでは句も書画も同じ迅さ、激しさで駆け抜けているのであろう。
「季刊銀花」(71年第7号 文化出版局刊)より |
一方、土方巽。1928年3月9日 秋田に生まれ、1986年1月21日に没した前衛舞踏家。大方「土方巽をかんたんに紹介するのはむずかしい」と書かれている。確かに。しかし土方のどの写真、土方のどの文章にも土方その人が強烈に出てくる。また土方について書くことは誰もが強い緊張を強いられるはずだ。
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『土方巽の舞踏』(慶応義塾大学出版会)より |
舞踏家、演劇評論家、学者、詩人、作家、様々なジャンルの人たちが土方を語る、様々に語る。それらが的を射ているかどうか、そんなことはどうでも良いようだ。それら全部を土方は吸い込んでいくように感じるから不思議だ。ひとり土方が立ち現れる。
例えば、手に取った一冊、『器としての身體』で三上賀代は入門のときのことをこのように書いている。
―土方は私に、「びっこの乞食」をやってみろ、と言った。私は懸命に「びっこの乞食」になろうとした。土方は、ドンドンドンドンと太鼓を叩き、「うそつき、うそつき」と言い続けた。そして、「ことばと、妙なものだけで、うまく生きてきた人生を封じ込めよ」と土方が言った時、私の人生は、「ほんとうのこと」に向けて進み始めた。
不思議な本、『土方巽頌』は詩人の吉岡実による。吉岡は自分の日記と引用によってこの本を編んだ。ある意味、土方に対して寡黙な態度をとったと言えよう。俳句定型がその「言えなさ」をもって言うような、そのような表現を貫いた。その吉岡実が土方巽と永田耕衣を引きあわせたのだが、土方が強く耕衣に会いたかった、という言い方があっているようだ。
『アスベスト館通信第1号』(1986年10月15日刊)は土方の追悼号で、永田耕衣は埴谷雄高に続いて俳句11句と追悼文を寄せている。前書に「這箇舞漢(二字傍点)熱演の<暗黒(二字傍点)舞踏>われ未見なれば其の深淵を夢想しつつ※十一句」とあるから、耕衣は土方の舞踏を観ていない。そしてその11句中の最後の句は
己れ舞い殺しつ活きつ芍薬忌
と土方の命日に「芍薬忌」を与えている。これで終わりかと思ったが、さらに1句とその句が成った経緯を文にしたためている。おそらくは一稿終わってから、後日に入稿したものであろう。その句は
芍薬や難思ゆたかなる舞漢
「難思」は仏教用語からとり、「心も言も及ばざること」と耕衣は解説している。しかし以前、土方を詠んだ句に
ねぢ花の腐れ間長き女体かな 耕衣
があり、「腐れ間」は土方の造語「間腐れ」、間が腐るというところからきている。
(続く)