2011年1月9日日曜日

I LOVE 俳句 Ⅰ-(1)

水口 圭子


傷舐めて母は全能桃の花   茨木 和生

「全能」という言葉は、子どもにとって母親とは絶対的な存在であること、これ以上の表現は無いかもしれないと思う。この句から、かつて読んだ大江健三郎のお母さんのことを思い出した。著書『「自分の木」の下で』(2001年1月刊)に出て来るその話は、かなりの衝撃を以て私を捉えた。

10歳の時敗戦を体験した大江健三郎は、それまで教えられていたことと全く逆のことを平然と言う大人たちに疑問を持ち、学校に行けなくなり、毎日を森で過ごしていた。そしてある秋の大雨の日にも森に入り、遭難してしまった。翌日助けられたが高熱で何日も死線を彷徨い、医者がもう手当の方法が無いというのを、朦朧とした意識の中で聞く。

目覚めた時、枕辺の母親に「僕は死ぬのだろうか?」と尋ねると、彼女は「もしあなたが死んでも、私がもう一度、産んであげるから、大丈夫。」と答えた。

「けれども、その子供は、いま死んでゆく子供とは違う子供でしょう?」と聞くと、「いいえ、同じですよ。私から生まれて、あなたがいままで見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしてきたこと、それを全部新しいあなたに話してあげます。それから、いまのあなたが知っている言葉を、新しいあなたも話すことになるのだから、ふたりの子供はすっかり同じですよ。」と言った。彼は、なんだかよくわからないけれど、本当に静かな心になって眠ることが出来、次第に回復して行った。

母親の包むような愛とはこういうのをいうのであろうと思う。母親、又はそれに匹敵する絶対的な存在の確信が、人を人として正しく成長させるのだと改めて思わされた。