2011年2月6日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(8)

神田界隈/ニコライ堂
文:山尾かづひろ 

建設当初のニコライ堂
















【ニコライ堂】
都区次(とくじ):「聖橋」の南詰にある「二コライ堂」を見てみましょう。ロシア正教を布教しようと江戸末期に日本にやってきた大司教カサーツキン・二コライが明治17年から7年の月日をかけて明治24年に完成したビザンチン様式の大聖堂です。正式の名は「日本ハリストス正教会東京復活大聖堂」です。
江戸璃(えどり):ずいぶん長たらしい名前ねエ。舌を噛んじゃうわよねエ。でもね、同じころ建設した鹿鳴館は18万円で、この「二コライ堂」の総工費が24万円だったそうよ。正式名に長いのをつけて総工費とのバランスがとれてよかったんじゃない?何か理屈に無理があるわね、アハハ。
都区次:「二コライ堂」は大正12年の関東大震災により自慢のドームが崩壊してしまいます。昭和4年に修復していますが以前と形が少し異なっています。なぜですか?
現在のニコライ堂
江戸璃:耐震性を加味したのよ。以前と同じに修復したのでは次に大地震がきたときに同じように壊れて「困り煎り豆山椒味噌(こまりいりまめさんしょみそ)」になると分っていたからよ。
都区次:お昼になりました。そこの淡路坂を下って、「やぶそば」で蕎麦を食べて、「竹むら」で御汁粉を啜りませんか?
江戸璃:いいわねエ。行きましょう。


ニコライの鐘の愉しき落葉かな   石田波郷
礼拝の準備の神父春の風    山尾かづひろ