2011年6月19日日曜日

尾鷲歳時記(22)

梅雨どきの花
内山思考 


 彼の夏の食堂の名は忘れたり 思考 

雨に色を深める紫陽花












もともと尾鷲は漁業と林業で栄えた町である。陸路が整うまで、海の幸はもちろん、スギ、ヒノキなどの原木も船によって運び出された。そのために、港に近い町が繁華を極めた。尾鷲そのものが海を向いていた、と表現してもいいだろう。 昭和初期、大阪から尾鷲にやって来た人が 「こんな田舎にも道頓堀がある」と驚いたそうだ。 そこには呉服屋、洋品店などが軒を並べ、夜にもなると料亭街から三味線の音が絶えなかったという。映画館は都会と同じ日に新作を封切り、二階座敷のある常設の芝居小屋には、一流の歌舞伎役者や当時の映画スターがやって来た。

前回「陸の孤島」と書いたが、そんな時代もあったのだ。 ご多分に洩れず、遊廓も何軒かあったようで、僕の知り合いのお爺さんは若衆の頃、時々かしょっちゅうかしらないが通ったとか。 その方面の話はいつの世も変わらないのでいちいち書かないで置くが、一つだけ、忘れられない逸話がある。 戦前、ある女郎さんを実の父親が買いに来る、と噂が流れたそうだ。その娘さんは、山を幾つも幾つも越えたところからやって来て、その店に出ていた。 「そんな奴もいたんだぞ」 とお爺さんが言った時、僕はフーン、と頷きながら、本当は違うのでは、と思った。 きっと、貧困ゆえの口減らしか、家の借金か、よんどころない事情があって身を売ることになったのだ。
我が家のアマリリス


生まれて初めて他郷に連れて来られて、彼女はどれほど心細かっただろう。 休みらしい休みもなく、外出もはばかられる中で、ただひとつの楽しみは、郷里から父親が訪ねて来てくれることだったのではなかろうか。 家族や村の様子を語り、持って来た好物を食わせた後、再び、辺りの冷たい視線を浴びながら父親は遠く帰って行く。彼は、娘でなく、娘の「時間」を買っていったのである。