俳句-瞬間を切り取る詩 後編
(近所の川の写真:白鳥、海鵜、蘆など)
白鳥の写真は震災のものではありません、数年前のものですが、この川に毎年白鳥が来ます。そして震災後ほぼ1週間後の写真、海鵜が映っていますが、自然のただならぬ事態にあってはぐれてやって来たのでしょう。
(船の写真)
これは河口から3~4kmのところ、津波に運ばれたものです。
(川の蘆の写真)
ブルトーザーが川に入って浚いました。キャタピラーの跡が見えますが、そこから蘆が伸びてきています。川が復活してきています。
そういうなかで地震の句を作りました。
四肢へ地震轟轟(ごうごう)とただ轟轟と 高野ムツオ
地震が起きた直後、仙台駅の句です。句の形になったのは約一週間後でしょうか。念頭にあったのは季節感はいるだろうか?ということです。「春の地震」とか「春の津波」など、そんなよそよそしいことは言えません。季語はありませんが、季節感は邪魔をします、地震そのもの、津波そのものを俳句にしようとしました。
天地は一つたらんと大地震 同
古事記にもあるように天地は一つのものだった。それが分かれて今の世界ができたのですが、混沌としたものに戻ろうとして大地震が起こった、そのような思いの句です。理屈がかった発想ですが、震災後1週間ぐらいたってから浮かんだものです。
地震の闇百足となりて歩むべし 同
ほとんど歩きながら完成した句です。駅から家まで歩いて帰るとき、後ろから二十歳ぐらいの女性がついてきました。おどおどした暗い目をこちらに向けている、蟻のようだ。そのような句を作りましたが、まてよ、女の子が蟻だったら私は何なのだろうか、と自問しました。蟻の俊敏さに対して、六十歳を過ぎた私は百足なんだなと思いました。ここでの百足には夏の季語を意識していない。そんなことどうでも良い、百足という存在そのものが私にとって大事でした。
常の座へ移るオリオン大地震 同
上五が当初から変わったかもしれませんが、歩きながら句でしょう。オリオン座も避難し、おののきが終わってからもとの座に戻った、そういう句ですが、今思うと小細工が効きすぎているようです。
膨れ這い捲かれ攫えり大津波 同
地震を詠むには、無季でないといけないと思いました。友岡さんの句は漢語をひとつひとつ並べましたが、私の場合、地震の恐ろしさの表現は動詞だと思いました。若い俳人の神野紗希さんは、この動詞の重ね方は渡辺白泉に似ていると言っていました。
泥かぶるたびに角組み光る蘆 同
泥だらけの川を見ていました。まだ蘆の姿は見えません、さざ波の光を見ての心象の句です。蘆は泥の中からも生えてくる、古代からこの土地に生えている植物というイメージが私の中にありました。泥の中にたくさん死んだ人が居ることを知り、その悲しみを表現しました。
車にも仰臥という死春の月 同
車のなかでも多くの人が死にました。仰向けになって死んだ人もいるだろう。そして車という無機質な物体にも死というものがある、そんな思いを表現したつもりです。
瓦礫みな人間のもの犬ふぐり 同
5月末、6月に入って先ほどの写真の川に、蘆がやっと生えてきました。感動したのはブルトーザーが通ったギザギザの跡に蘆が生えてきました。植物の力は凄いですね、人間もこうじゃなければいけないと思いました。
(荒浜小学校の写真:2階あたりまで津波が来た。子供たちは4階と屋上に避難。)
仙台の荒浜は200名ぐらい亡くなっています。
津波あとに老女生きてありぬ死なぬ 金子兜太
ちょっと抽象的ですが、「なにゆえの壊滅」は自然に対すると同時に自分に向けられた言葉だろうと思います。
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(写真:倒れていながら咲いている桜の木。)
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(電柱の写真:細い鉄筋がささら状にむき出しになるまで破壊されている。会場から驚きの声。)
3ヶ月たっても瓦礫はそのままの状態です。多賀城・仙台・石巻では、いたるところこういう状態です。
白梅の闇に包まれ死者の闇 同
被災地を歩き、死者のことが頭にありました。
鬼哭とは人が泣くこと夜の梅 同
鬼哭というのは元々は亡霊が泣くことですが、亡霊も元々は人間だった、人間の泣き声なんだと、そういうふうに感じて作りました。
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(七ヶ浜の写真:5月10日前後の住宅地。死者七十名。漁船が津波に運ばれて来た。)
(浜辺の松の写真:津波に折られて、樹木の繊維がとげとげしく顕わになっている)。
こういうなかで様々な人が俳句を作りました。「俳句」とい総合誌で「励ましの俳句」という特集がありました。俳句で励ますことができるかどうか?私は出来ないと思います。編集者も分かっていたと思います。自分の思いとは別に、ただ励まそうとしたら薄っぺらなものになるでしょう。問題は、自分にとって、その震災とは何か、人に死とは、いのちとは何か、を自分自身の思いとして提唱することにあります。そのことがひいては人のこころを打つ、そういうことだと思います。掲載された句で、私のこころを打った句を四句掲げてみます。
津波あとに老女生きてありぬ死なぬ 金子兜太
自分も生きてある、という思いと重なっています。
さくら咲け瓦礫の底の死者のため 矢島渚男
死者のためのエールで、そこに作者の悲しみがこもっています。
パンジーの光あつめて祈るなり 安西 篤
さらりとした素直な俳句ですが、祈りというもののありかたが表現されています。
なにゆえの壊滅春を待つ東北に 渋谷 道
ちょっと抽象的ですが、「なにゆえの壊滅」は自然に対すると同時に自分に向けられた言葉だろうと思います。
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(写真:倒れていながら咲いている桜の木。)
(写真:旧年の一目千本桜の木。)
本来でしたら東北は花盛りです。普通、「一目千本桜」は吉野のことを言いますが、宮城の大河原の白石川堤の桜は、そう呼ばれて親しまれています。今年は電車からチラッと見ましたが昨年までの桜とは全く印象が違いました。
(写真:塩竃桜)
普通の八重桜とはちょっと違います。白とピンクの濃いのとが入り交じっている桜です。
人により印象は様々ですが、震災を通して桜を見ると、生きるというか、一途になって必死に咲く桜に、自然の力を感じます。尊いものだな、と感じます。そういう思いでいろんな作者の句を見ると、また私自身の思いも違ってきます。
塩竃の櫻は見るに手を添えよ 高橋睦郎
高橋さんには『花行』(けぎょう)という桜だけを収めた数十年間にわたった句集があります。塩竃の桜をまだ見ていないということで、睦郎さんに来てもらったときの句です。そのときは花の様を、まあ、よく捉えているなあ、と思いましたが、今になってみると奥深いものがあります。「手を添える」は作者のこころを添える、桜と一体となる、花のいのちと自分もそこにある、そういう思いの句であります。
青空や花は咲くことのみ思ひ 桂 信子
瞬間を書いているのですが、信子さんが八十年、九十年かけて見てきた桜に対する全ての思いがこの桜に入っている、そのように思います。
明日は死ぬ花の地獄と思ふべし 佐藤鬼房
私の師匠の、病気が大変なときの句です。一日一日をいつ死ぬかという思いで過ごしてきた、そういう意味では地獄なのですが、単なる地獄ではない、そこには花も咲いている、そのような地獄なんだ、といういのちを捉えた俳句です。
永劫の途中に生きて花を見る 和田悟朗
宇宙が始まって終わるまで、何時終わるのかはわかりませんが、気の遠くなるような時間のなかで、一瞬に生きて一瞬に見た花なのだと、そういうことが読みとれます。
※
芭蕉さんには「ものの見えたる光」を言いとめよ、という言葉がありますが、光というのは、ものの見えたるいのちの光であって、いのちの瞬間を捉えるのが俳句だと、震災に遭って思うようになりました。最後に、私の桜の句をいくつかあげてみたいと思います。
一目千本桜を遠見死者とあり 高野ムツオ
桜とは声上げる花津波以後 同
みちのくの今年の桜なべて供花 同
みちのくはもとより泥土桜満つ 同
最後の句は気にいっている句です。みちのくだけではない、日本そのものは古事記の時代から泥によってなりたっている、だからこそ桜が咲く、そういう思いを込めました。
そういう震災体験をお披露目しながら終わりにしたいと思います。
【質疑】
高野先生の句を見ていますと、最初は無季、そして1週間から10日して季語が入ってくるようです。この有季・無季をどのように考えますか?
【応答】
なかなか難しいテーマですね。自分の表現するテーマは何か、ということに係わります。俳句は季題を表現するという人たちもいます。その人たちは今回の震災や津波を表現することが出来ません。俳句は季語が入っていようがいまいが、季節の手だてのついていない、もののいのちを表現するものだと思います。今回の地震、大惨事では人間のいのちと深く係わる深刻な重いテーマを表現することになりますが、そのとき季語が無くても表現は可能だろう、また季語が無いほうが良い句になる場合があるということです。
私は季語を否定しているのではありません。季語がもつ宇宙・世界観を介在させることによって、また季語のもつふくよかな情緒が、句の世界がより拡がることがあります。私の句もほとんど季語が入っています。無季という概念は有季という概念と一緒になって存在していると思います。有季という概念が無ければ無季という概念もありません。両方とも大切な言葉の考え方と思います。したがって有季・無季は、作るテーマによるものだと思います。両方作っていくのが大事だろうと思います。(拍手)
(終わり)