2011年6月19日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(25)

上野界隈/上野恩賜公園
文 : 山尾かづひろ  
清水観音堂










都区次(とくじ): 上野恩賜公園は日本で最初の都市公園なのですが、このまとまった土地はどうしたのですか?
江戸璃(えどり): この場所には江戸の丑寅(北東)の鬼門封じのために幕府が建立した東叡山寛永寺の豪華絢爛な伽藍が溢れていたのよ。明治元年の戊辰戦争のとき、この東叡山寛永寺に彰義隊が立て籠ってね。5月15日の早朝に官軍から火蓋を切り、わずか半日で彰義隊は敗退しちゃったのよ。
都区次: そのときの戦闘で東叡山寛永寺は焼け野原になったというわけですか?
江戸璃: そうなのよ。京都の清水寺を模した清水観音堂だけ残して焼け野原の「コンコンチキ」よ。
都区次: 焼け野原の跡に公園を造ったというわけですね。
江戸璃: 明治政府は当初、医学校と病院を予定していて蘭医ボードウインに視察させたところ、公園として残す方が利用価値ありと進言されて今日の姿があるというわけ。
ロダンの「考える人」














五月雨や上野の山も見あきたり  正岡子規
桃の実の固きに黙考ロダン像   山尾かづひろ