2011年7月10日日曜日

尾鷲歳時記 (25)

夏の過ごし方
内山思考

  扇風機座敷童子のごと隅に 思考 

扇子と団扇









「今年は冷房をなるべく使用しない」と妻が宣言した。 宣言という重い確約にもかかわらず、なるべく、などとあいまいな表現を用いるところにやや脱力感はあるが、節電意識の現れなので大いに賛同し、その代わり電力の少ない扇風機を活用しようと一台買い足した。最近の扇風機は驚くほど安い。風量とタイマーに、リズムつまり自然の風のような強弱の機能がついて三千円ほどで買える。

今は昔の五十年前、わが家に一つだけあった扇風機は、父の手作りで、それは大きな音がする割にはあまり風が来ないし羽根は剥き出し、僕はいつも轟音に怯えながら顔を近づけたものだ。思えば、戦闘機を連想させる扇風機だった。 シャワーも「なるべく」ひかえることにした。まず朝、浴槽に少し熱めのお湯を張っておいて1日利用する。汗を流せばいいだけなので、それで十分だ。
昼寝用の枕三種
竹製、陶枕、広辞苑

団扇と扇子も忘れてはならない。暑さを軽減させたければ、腕力も使用するべきだ、と書架に挿してある団扇を数えたらなんと七本もあった。なかでも、大阪天満宮のものは、しっかりした竹の骨に和紙が貼ってあり、これぞ団扇、と呼びたいぐらいの優れものである。景品やサービス品はプラスチックあるいはナイロンの骨で腰がない。 扇子は外出時の必需品だ。

一番よく持って歩くのが、友人だった京都の喜多陶子(きた・ようこ)さんの句「炎天の指一本にたてこもる」が書かれているもので、マスカットとニ匹の蟻が描かれている。亡くなって久しいが、彼女の笑顔は、夏涼しく、冬暖かく僕の心にある。 和田悟朗さんに頂いたニ本の扇子も大事にしている。鳳凰の透かしが入った奈良扇、もう一本は「わが庭をしばらく旅す人麻呂忌」の直筆だ。しかし、勿体無くてまだ沢山の風を作っていない。 日曜日の早朝、この原稿を書いているが、今、「お父さん、花に水やって」と二階から妻の声が降って来た。