2011年7月10日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(28)

浅草界隈/浅草寺境内・浅草公園六区
文 : 山尾かづひろ  挿絵 : 矢野さとし



浅草寺五重塔
 












都区次(とくじ): 浅草の歓楽街を「六区」と呼びますが、あれは何ですか?
江戸璃(えどり): 明治6年の太政官布告で浅草寺境内を「浅草公園」と命名して明治17年に「一区から七区」まで区画したのよ。この時に浅草寺裏の一部を掘って池(通称は瓢箪池)を造り、池の西側と東側を築地して街区を造ったのが第六区となったのね。浅草寺裏手の奥山地区から見せ物小屋が移転して歓楽街になったのよ。
都区次: その瓢箪池は今はどうなっているのですか?
江戸璃: 昭和34年に浅草寺五重塔の再建で埋立てられて、複合娯楽施設の「新世界」となり、今はJRAの馬券売場になっているわよ。
都区次: 目まぐるしく変わったものですね。
江戸璃:それはそうよ。浅草の啖呵売風で少々柄が悪くて申し訳無いけど「張っちゃいけねえ親父の頭、貼らなきゃ食えねえ提灯屋」ということね。これは私のキャラクターではありませんからね。
都区次: 分かっています。江戸璃さんはミッション系の女学校でしたね。それでは浅草寺本堂から「六区」を見に行って今日は帰りましょう。途中の本堂の西側の赤いお堂は何ですか?
江戸璃: 元禄年間に紀州の加太(かだ)の淡島明神を勧請した「淡島堂」で、毎年2月8日には「針供養」で賑うわよ。

淡島堂










針供養様変りせし六区行く  大矢白星
仲見世に啖呵売聞く花の昼  山尾かづひろ