2011年2月27日日曜日

尾鷲歳時記(8)

黒船あらわる
内山思考

行野浦から見た桃頭島









 
 磯遊び見えて野遊び腰おろし   思考

今から一五〇年前の万延元年(一八六〇年)六月、尾鷲(おわせ)に英国の黒船がやって来た。米国のペリー提督が東インド艦隊を率い、浦賀に来港して七年後のことである。当時の様子を記した「異船漂着模様書上」が市の郷土室に保存されている。

それによると、その黒船は尾鷲湾の南にある桃頭島(とがしま)の沖合に出現し、下ろされたボートに乗った八人の乗組員が、近くの行野浦(ゆくのうら)へ上陸した。彼らの中に中国人がいて、多少の日本語は理解出来たようである。ジェスチャー混じりで鶏、豚、牛などの肉が欲しい、と要求するので、村人は大庄屋の家へ案内したそうだ。

昭和63年に刊行された古文書
の複製より
何しろ鎖国時代の話である。誰も外国人など見たことも無いはずで、庄屋様も大いに困ったに違いない。食料をくれるなら、かわりに真鍮(しんちゅう)を代金として払うといったらしい。当時、真鍮は貴重な品物だったのだろう。


とは言え、牛や豚を食べる習慣がない時代で、しかも田舎である。鶏なら四、五羽いると返事をし、酒はないのか、の問いには無い、と断ったようだ。酔っぱらって暴れでもされたら、と警戒したと見える。

里から出ることもほとんどなかったであろう村人たちは、どれだけ恐怖したことか。女、子供は山の中に逃げ込ませたかも知れないし、もしもの為に、と鍬や鎌を握りしめて物蔭に潜む者もいたと想像する。結局、意思の疎通ははっきりできず、食糧の調達にも手間取る内に日が暮れ、痺れを切らした彼らは帰ってしまった。

堅い候文(そうろうぶん)ながら、二つのエピソードが興味深い。一つは、水を欲しがるので井戸の水を汲んでやると三人で釣瓶一杯を呑み干したという話。もう一つは、庄屋の家の猫を大層かわいがり、抱き上げて遊んだという話だ。

歴史の彼方に消えてしまった男達の顔付きが、おぼろげに見えるような気がする。