2011年2月27日日曜日

I LOVE 俳句 Ⅰ-(8)

水口 圭子


 黄泉平坂白桃一個転がれり    杉田 桂


黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)は現世と黄泉の国との境にある坂で、大昔は自由に行き来できたという。

『古事記』に次の話がある。伊邪那岐は、死んだ妻・伊邪那美を恋しく思い黄泉の国へ迎えに行く。そして彼は黄泉の国の神様の許しを得るまでは、決して妻の姿を見ないという約束をするが、待ちきれず覗いてしまう。そこで蛆の湧く醜い死体を見て逃げ出した伊邪那岐は、追いかけて来る伊邪那美を振り切る為、黄泉平坂を巨大な岩で封印してしまった。人間の死の起源説話である。

人の心とは不思議なものである。「見てはいけない」と言われると見たくなり、「してはいけない」と言われるとしたくなる。禁じられると好奇心が増すのは常なのかもしれない。だが禁を破った後には必ず悲劇がやって来る。民話「鶴の恩返し」でも、羽を抜いて布を織る姿を見られた鶴は、空へ飛んで行ってしまった。この民話は、鶴を助けたのが若者だったりおじいさんだったり、覗いたのが若者だったりおばあさんだったりと様々な説があるらしい。いずれにせよこの民話を元にして、木下順二は戯曲『夕鶴』を著した。与ひょうの有様は伊邪那岐と重なって見える。

自分の心に勝てず約束を破ってしまう筋書きの物語は沢山あると思うが、すでに日本最古の神話の中に、神々の姿を通して生々しく描かれているのは興味深いことである。

掲句は、「黄泉平坂」に対して死に関わる言葉を一切用いず、「白桃」を一個置いたのみ。シュールレアリスムの絵画を連想させる。「白桃」は瑞々しくも儚く脆い人間の心の象徴であろう。愛故に禁を犯してしまう愚かさと、「白桃」が転がることがぴったりと合っている。