2011年2月27日日曜日

永田耕衣 × 土方巽 (7)

大畑  等


肉体の叛乱・真鍮板の叛乱


※4 より

真鍮板と踊る土方。一九六八年十月、日本青年館での公演『土方巽と日本人・肉体の叛乱』の写真である。
この舞台装置は美術家・中西夏之によるもの(中西は高松次郎・赤瀬川原平の3名により1960年代前半に結成された前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」のメンバーでもあった)。中西は、この装置について、次のように書いている。




《吊られた6枚の大真鍮板・解体する六曲屏風》
〈真鍮の板は一本のピアノ線に結ばれているので、その自重によって、静止していることはなかった。だが、いつもせわしく廻転していたわけではない。真鍮の板の重さが細いピアノ線をゆっくり捻り、それに連れて板は身を斜めにし、一本のピアノ線につながった一本の垂直線になり、再び斜めになって裏側をわずかに見せ、逆方向に廻転する。完全な正面を向いたと思うと正面性をよけ、光を強く反射して、わずかに奥行きを見せる。〉6枚の真鍮板は「肉体の叛乱」の舞台に、まるで屏風が1曲ごとに断裁されたかのように並べて、床面から20~30センチ浮かせて吊り下げられていた。真鍮板の大きさはタテが2400ミリ、横が1200ミリ、厚さが1.2ミリ。重さは20キログラムになる。向かって左端の真鍮板には、生きた鶏が逆さに吊されていた。右端の真鍮板には片面だけトレーシング・ペーパーが掛けられていた。土方巽はこれらの真鍮板に静かに寄り添い、ある時は体で激しく打撃し、まだ生きている鶏に手をかけるように踊った。※4


2.4m×1.2m、厚さが1.2mmの真鍮板は、ペラペラである。しかし持つにはたいへん困難である。ペラペラの真鍮板の重心が移動するからである。中西のメモにより舞台装置はおおよそ分かる。また、中西は後年、この真鍮板の舞台装置について「美術手帳」(1986年5月号・美術の土方巽)で書いている。この舞台装置の体験により光琳の「紅白梅図」、宗達の舞楽図や風神雷神図の構造と意味が分かったと。非常に興味深いことだが、今の私には残念ながら分からない、先を急ぐことにする。

さて、真鍮板は会場の光と闇を写し、そして土方を写しながら廻転した(だろう)。土方が触れ、打撃するにつれ写り込むものは次々と変化した(であろう)。また真鍮板の振動と音をも知覚することになる。では、何故真鍮板なのか?

「現代詩手帳」(1977年4月号)での座談会(土方巽・鈴木忠志・扇田昭彦の鼎談)で土方は次のように語る。

―(前略)ガラスの破片は、材料の奴隷になる以前の、ガラスの危機感として猛烈な速度にはまりこんだ物質を捉えているのでしょう。これからはどんな危機感がどういう物質に置き換えられるかわからない。ただ、子供の頃、うまく機会を逃したい、生きていることの中に。こうあって欲しいという嘆願のほうに、機会を失するようなほうに綿々たる恋慕をもって生きてたということがある。それがガラスになったり、そういうものに置き換えられているんであって、ある舞台装置のためにある画家を連れてきて新しい材料で、というようなものじゃないですね。※16

ガラスの危機感については、永田耕衣×土方巽(4)の「今や、断頭台上に立ち手を縛られた罪人は、まだ死んではいない。死ぬには一瞬間が足りないのだ。死を猛烈に意欲するあの生の一瞬が・・・・」を思い出して欲しい。「人間的自然の根源的なヴァイタリティの逆説的なあらわれ」を物質にも見てとるのが土方なのだ。
(参照 永田耕衣×土方巽(4))

さらに、もう一つ。「うまく機会を逃したい」「機会を失するようなほうに綿々たる恋慕をもって生きてたということ」は、(機会を得ての)存在者の否定である。土方少年は物質の(そうありたかった)夢に恋慕しているのだ。

「歩行者一人一人はそのカラダに死者をかかえ歩いているんだよ」と土方は弟子の芦川に言った。目の前の歩行者、彼らはあらゆる可能性のなかで一つの機会を得たものたちなのだが、逆に言えば他の機会を失したものたちなのだ。それが死者なのだ。これを物質にも見てとるのが土方なのだ。

ベルグソンは意識という生命エネルギーが物質と格闘(有機化)しながら、それぞれの段階の生物(植物・動物・人間)を生み出し、ついに人間に至って意識は本来の自分を取り出したことを語る。しかし、意識は「貴重な財宝」を手放さなければならなかった。

―有機体の総体は、人間そのもの、あるいは精神的に人間に類似する存在が、いずれはそこに芽生えるはずであった腐葉土のごときものになる。
―意識は、人間にあっては、何よりも知性である。思うに、意識は直感でもありえたであろうし、直感でもあるべきであった。直感と知性とは、意識的な働きの相反する二つの方向をあらわす。直感は生命の方向そのものに進み、知性は逆の方向に向かう。(中略)完全無欠な人間性があるとすれば、そこでは意識的活動の二形態がともに十分な発達段階に達していることだろう。
―要するに、意識は何よりも自己を知性として規定しなければならなかった。なるほど、そこには直感がある。しかし漠然としており、とりわけ非連続的である。それはほとんど消えかかったランプである。ときたま燃えあがっても、ほんの束の間しかつづかない。しかし、このランプは、要するに生命的関心が働くときには、燃えあがる。われわれの人格のうえに、われわれの自由のうえに、われわれが自然全体のなかで占める位置のうえに、われわれの起源のうえに、またおそらくはわれわれの運命のうえに、このランプはゆらめく微光を投げかける。微光ではあるけれども、それは、知性がわれわれが置きざりにする夜の闇をつらぬく。※17


ベルグソンの美しい文章、ために引用が長くなってしまった。土方は舞踏家である。ベルグソンのように「知性」「直感」などと言葉を整理するようなことはしない。
しかし「自分の肉体の闇をむしって食ってみろ」と言う舞踏の土方はベルグソンと同じものを見ている。ジジェク風に言えば、ベルグソンは土方の舞踏を観ていた、という冗談も言いたくなるほどだ。


さて、土方の真鍮板との舞踏にもどることにしよう。真鍮板は吊されていて動く、運動する。ここでは真鍮板は装置ではなく、土方とともに一舞踏手となっているのだ。

たとえばトランペット、その素材は真鍮板である。真鍮板は人間の知性により(機会を得て)トランペットになってしまった。では、機会を失した(何ものにもなる可能性のある)真鍮板の音は?震えは?反射する光は?そしてトランペットになる一瞬前の叫びは・・・・土方は遡るのである。このときの舞踏を想像する。動く真鍮板を前にして、土方の視覚、聴覚が生起するその場所は、触覚のとき同じように、真鍮板であったろう、と。土方の脳のなかではなかった。

たえず生成し運動している世界に対して知覚系は引き算をする。運動を静止画像のように固着させるのだ。土方は生成・運動のなかで物質を、人間を、捉える―物質の叛乱、肉体の叛乱。

しかし、この真鍮板の構想は土方が元藤(土方夫人)と出会う青年の頃から抱いていたものであった(それは次回に)。では、今回の土方巽に耕衣の句を贈るとしよう。

 舐めにくる野火舐め返す童かな  闌位
 皆行方不明の春に我は在り    種
 餅は皆にじり居るらし冬の暮   種


    (続く)
※4 『土方巽の舞踏』慶応義塾大学出版会 より
※16「現代詩手帳」(1977年4月号)特集「舞踏」より
※17『ベルグソン全集4』(創造的進化)白水社刊より