2011年2月20日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(10)

佃島界隈/住吉神社
文:山尾かづひろ 








【住吉神社】
都区次(とくじ):それでは佃島の住吉神社を見てみましょう。佃島は元々は隅田川の河口に自然に出来た寄州(よりす)ですよね。神社があるのはどういうわけですか?
江戸璃(えどり):前回、徳川家康が恩に報いて摂津の佃村の漁師を佃島へ呼び寄せたと言ったわね。寄州のこの地は鉄砲洲の東の干潟百間四方の名の無い土地だったのよね。その土地を与えて摂津の佃の漁師三十三名を移住させたのよ。同時に摂津の住吉神社を分霊させたのが佃島の住吉神社の起源なのよ。佃島の名は故郷の佃村の名をとって名づけたのよ。また佃島の漁師は幕府の保護を受けて江戸湾内の漁業権を得て、その後どんどん漁業権を広げて日本橋に魚河岸を開くようになったのよ。
神社裏手水路側

都区次:家康は佃の漁師を呼び寄せたからには何か幕府の仕事をさせたのですか?
江戸璃:毎年11月から3月まで隅田川で白魚を取らせて幕府に献上させたのよ。江戸名物だったのよね。
都区次:この白魚は江戸の固有のものですか?
江戸璃:違うわよ。摂津の佃村から子を取り寄せて繁殖させたものよ。でもね私が子供の頃の昭和初期には「からっきし」取れなくなっちゃったわね。

白魚や氷を捨つる佃島         正岡      子規
あぢさゐは終の姿を鰹塚     山尾かづひろ