2013年1月20日日曜日

2013年1月20日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(107)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(104)
       内山 思考   読む

俳枕 江戸から東京へ(107)

山手線・日暮里(その6)芋坂下(羽二重団子②)
文:山尾かづひろ

加藤恒忠(拓川)


 











都区次(とくじ): 正岡子規は本郷の常盤会宿舎から駒込の下宿へと住まいを変えます。正岡家の経済的事情ということで駒込には3ヶ月居ただけで谷中へ移ります。この谷中に移った理由というのは何ですか?
江戸璃(えどり): 子規は母方の叔父の加藤恒忠(拓川)の世話で東京へ出て来たのだけれど、加藤恒忠は外交官で海外に居ることが多いため、友人の陸羯南(くがかつなん)に子規の世話を頼んだのよ。それで子規は諸々の相談を陸羯南にしていてね、明治24年の秋には学年末試験に及第する見込みがないので東大を退学したい等の相談があって谷中に住む陸羯南を訪ねたわけよ。

前向きに踏み出す一歩春隣 熊谷彰子

都区次:陸羯南が谷中に住んでいたというのは分りましたが、子規も谷中に住みだしたというのはどういうわけですか。
江戸璃: 子規は大学の相談と同時に家賃の安い下宿の相談もしたのよ。陸羯南が向いの独居の老婦人は誰か確かな人を下宿させたい希望があると、子規に伝えるとすぐに引越しをしてくるということになったのよ。
都区次: この老婦人の家が子規庵ですか?
江戸璃: 子規庵はこの次の家で、この老婦人の家には2年ほど居たのよ。
都区次:次の子規庵に移った訳は何ですか?
江戸璃:それは次回に話すわね。

陸羯南













仕舞屋と路地の根岸や松過ぐる 長屋璃子(ながやるりこ)
谷中まだ骨正月の人の声    山尾かづひろ 



尾鷲歳時記(104)

ヤマネのハカセ
内山思考

旧友や冬眠鼠(やまね)を語るとき少年   思考


湊先生の著作(一部)












この正月、40何年ぶりの高校同窓会があり、その時、湊秋作君(理学博士)が「ヤマネ」についてミニ講演を行ってくれた。ヤマネというリスに似た小動物がいるのは知っていたが、僕の知識もそこまで。だから、少し照明を落としたホテルの会場の一角で、彼が小さなスクリーンに映像を写しながら話し始めた時も、申し訳ないがさして興味を持てなかった。

100名ほどの出席者の大方は、それよりも懐かしい面々と永(なが)の無沙汰を癒やすことに一生懸命のようで、同じ様に僕もその輪の一つに居たのだが、クラスのメンバーとの思い出話がひと息ついたので、ヤマネ話の方へ近づいて彼の声に耳を傾けてみると、優しく、柔らかく、そして丁寧な口調である。

「ああ、この人は子供たちに話すことに慣れているな」と思った。自分が研究して来たヤマネについて、相手によく知って貰おうと努力している彼の様子が伝わって来て、僕は頭の中でモードを「静聴」に切り換えた。が、何せ立食バイキングスタイルだから人の動きが多すぎる。結局、僕の脳裏に残ったのは暗視カメラで捉えたヤマネのすばしこい動きだけだった。

帰ってネットで調べると彼は山梨県北杜市の「キープやまねミュージアム」館長で、著作もたくさんあるようだ。早速その一冊を取り寄せてみることにした。数日後届いた「ヤマネのすむ森(湊先生のヤマネと自然研究記)」は、小学校の高学年あたりを対象にした構成で、写真やイラストをふんだんに使った楽しい本である。いつもは早読みなのに珍しくゆっくりとページを繰りながら、僕はヤマネの魅力に少しづつ触れていった。

尾鷲にもヤマネはいるはず
アレ、文中に「和歌山県那智勝浦町出身」とある。ひょっとしたら、と中学校の卒業アルバムを引っ張り出してみると、いたいた、彼は3組で、三年生の時転校して来た僕は1組。高校時代もクラスが違ったけれど、彼はあれから「ヤマネのハカセ」になったのだ・・・・・。湊秋作先生のおかげで僕もヤマネファンになりそうである。