2012年11月18日日曜日

2012年11月18日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(98)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(95)
       内山 思考   読む

■ 私のジャズ(98)        
       松澤 龍一   読む

俳枕 江戸から東京へ(98)

三田線に沿って(その13)正岡子規・河東碧梧桐
文:山尾かづひろ 

碧梧桐 青年期












都区次(とくじ): 前回、河東碧梧桐が常盤会宿舎に入寮していたと伺いましたが、経緯は何ですか?
江戸璃(えどり): 明治24年3月、18歳のときに松山中学を中退して東京の錦城中学5年に編入したのよ。目的は一高の受験準備のためだったのよ。ところが文部省の方針が一変して来年から受験入学生を募集しないことになっちゃって、8月には故郷の松山中学へ復校したので、常盤会宿舎にいたのは5、6ヶ月よね。
都区次:碧梧桐が初めて子規に会ったのは、このときですか?

  諦めはやすらぎとなる白山茶花 冠城喜代子

江戸璃:もっと前に会っていて、碧梧桐が7、8歳で、子規が13、4歳のときね。もちろん松山時代よ。碧梧桐の父親は松山藩の朱子学の道学者で、晩年は千舟学舎という塾を自分の屋敷で開いていて、子規はその塾へ通っていたのよ。ちょうど、その日は屋敷に薪用の木を業者が持ってくる日で、子規が作業を手伝いに来ていて、碧梧桐は子規に初めて会ったのよ。

夕ぐれの花柊に尽(すが)れ見ず 長屋璃子(ながやるりこ)
裏町の湯島本郷冬日落つ 山尾かづひろ 


尾鷲歳時記(95)

海洋深層水
内山思考

魚にも体温ありぬ陸は枯れ  思考

硬度330の
百%深層水飲料












海洋深層水というのは一般に、光の届かぬ200㍍以深の海水のことをいうのだそうだ。 尾鷲市古江町にある「アクアステーション(みえ尾鷲海洋深層水施設)」は賀田湾三木埼沖12・5㌔水深415㍍の海底からパイプで深層水を汲み上げ、飲料水や製塩、温浴施設などに有効活用している。過日、僕がそこを訪れたのは深層水を使ったサツキマスの養殖がおこなわれていると聞いたからであった。

サツキマスは「幻の魚」と呼ばれ、ときには一匹一万円もの高値がつくという。古江町は市内から車で20分ほど、アクアステーションは小さな港の横にあり、事前に連絡してあったので顔見知りのIさんがいろいろ案内してくれた。サツキマスは、降海型のアマゴが遡上したものをいい、温度の変化に敏感なので養殖は困難とされてきたが、一定の温度(約13~15℃)が保てる深層水を利用することにより、唯一この施設で成功したのだという。

養殖見学のあとでIさんは深層水の取水棟を見せてくれた。45㌧の水槽の下のドアを開けると地下15㍍の所に取水ポンプがある。僕たちはカンカンと靴音を響かせながら、殺風景な鉄の階段をジグザグに降りて行った。底へ着くと思ったより暖かい。

「ここがストレーナー」Iさんのペンライトが30㌢ほどの丸窓を照らした。中は海底から直に届いた海水で満たされていて、何やら赤いものが三つ…。「なにこれ?」驚いて覗き込む僕に、Iさんは沖から吸い寄せられて来た「コツノガニ」だと言った。どれもじっとして動かない。一匹は背中に大きなイソギンチャクを背負っている。

ストレーナー内の小角蟹、
上の一匹の背に磯巾着が
彼らが二度と海底に戻れないことを思うと哀れな気がした。そういえば十年ほど前、和田悟朗さんが深層水に興味を持っているようだったので、ここで淡水化して製造されているペットボトル入りの「尾鷲海洋深層水」を送って差し上げたことがあった。その時の経緯は和田さんのエッセイ集「時空のささやき」に記されている。

私のジャズ(98)

史上最強のコンボ その二
松澤 龍












最強に二つがあってはならないはず。でも、前回のマックス・ローチとクリフォード・ブラウンのクインテットに勝るとも劣らないコンボがあと二つある。あえて最強のコンボその二としよう。それはマイルス・デヴィス(正確にはデイヴィスだが)が最初に持った恒久的なクインテットである。

ピアノにレッド・ガーランド、ベースにポール・チェンバース、ドラムスにフィリー・ジョー・ジョーンズとハード・バップオールスターズのリズムセッション、それに当時新進気鋭のテナーサックス奏者のジョン・コルトレーンを加えたものである。この頃、テナーと言えばソニー・ローリンズ、ソニー・ローリンズ自身でなくとも、その亜流はごろごろしていたはずだが、彼らを起用せず未知数の新人、ジョン・コルトレーンを起用し、その将来性にかけたマイルスの慧眼に感服する。

多くの録音がプレスティッジに残されており、そのどれをとっても名演で、1950年代のモダン・ジャズ史上を綺羅星の如く飾っている。定番の一つがセロニアス・モンクの名曲、ラウンドミッドナイト。マイルスの繊細なトランペットのソロに続く、管楽器のリフ(合奏)、そしてジョン・コルトレーンのソロ、その出だしがたまらなく素晴らしい。おそらく、ジャズ史上最もスリリングな瞬間だろう。



一連のプレスティッジへの吹き込みを終えると、このコンボにはアルトサックスのキャノンボールをが加わり、三管編成となり、ドラムスは若手のジミー・コブに変わった。ピアノのレッド・ガーランドの代わりに迎えられたのは、白人のピアニスト、ビル・エヴァンスであった。黒人のコンボに白人が加わるといったちょっと異様な起用だったが、マイルスはビル・エヴァンスの将来性を鋭く見抜きあえてこれを断行したのだろう。

このセックステットでマイルスはモード奏法と言う新しい試みに挑戦を始める。その後、メンバーを一新して、ドラムスにトニー・ウィリアムスを起用したクインテットで、ジャズプレーヤーとしての頂点を極める。このクインテットがのこした一連のライブ録音はジャズ史上に残る正に、掛け値なしの金字塔と言えよう。