2015年1月25日日曜日

2015年1月25日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(212)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(209)

       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(212)

人形町(その4)
文:山尾かづひろ 


宝田恵比寿神社












都区次(とくじ):いつまでも強烈な寒さですね。
江戸璃(えどり):本当にそうよね。これで雨になったら雪になっちゃうわね。

鉛筆はB積らない雪が降る  田中朋子

都区次: 前回は身延山別院でした。今回はどこへ案内してくれますか?

かまくらの話は尽きぬ秋田の子  大森久実

江戸璃:宝田恵比寿神社よ。今回も大矢白星師に12年ほど前に案内して貰ったコースを同じ説明をして歩こうというわけ。宝田恵比寿神社は、中央区日本橋本町にある神社なのよ。宝田恵比寿神社の創建年代は明らかではないけれど、徳川家康が江戸入府以前は宝田村の鎮守社だったそうだけれど、江戸城拡張により村の移転を命ぜられて現大伝馬町へ遷座させられたのね。当地は金銀為替、駅伝、水陸運輸と重要な役割を担って大変賑わったそうよ。また御神体の恵比寿神は、運慶作と伝えられ、徳川家康から下賜されたものだそうで、日本橋七福神の恵比寿神となっているのよ。この神社から小伝馬町の交差点周辺まで毎年10月19日と20日に「べったら市」の露店がずらりと並ぶのよ。「べったら市」は宝田恵比寿神社の門前で行われるえびす講で浅漬け大根のべったら漬けがよく売られたことから「べったら市」と呼ばれるようになったお祭りなのよ。第十五代将軍徳川慶喜もべったら漬けを好んで食べたと言われていて、江戸時代から続く伝統ある漬物なのよ。
都区次:べったら漬けを食べたことはありますが、どうやって作るのですか?
江戸璃:浅く塩漬けした大根を、米麹の床で本漬けにした甘い漬け物なのよ。大きく分けて2工程よね。イメージとしては浅く塩漬けした大根を、甘酒に漬けたようなものね。ここで順序立てて説明できるけれど、けっこう手間がかかるのよ。買っちゃった方が便利だし旨いわよ。

運慶作の恵比寿神










去年今年作法だうりの神詣で    長屋璃子
こだはらず美味ある道を恵方とす  山尾かづひろ

尾鷲歳時記(209)

心便りは心頼り 
内山思考 

一歳が二十歳となれり冬景色  思考

商店街で号外を貰った








自分が沖縄に居ることを忘れる瞬間がある。夜中に目覚めたり、ひとしきり本を読んだり、テレビを見終わったりした時に多い。フッと我に返って「あれ、ここは?」と思うのである。恵子も同じことを言った。彼女は部屋にいる時間が長いので余計にそうだろう。那覇住まいもひと月になったから、街を歩いていて横道にそれてもだいたいの東西南北はわかるし、他郷に暮らしている感覚が無くなりつつある証拠だろう。

ウチナーグチ(沖縄ことば)のイントネーションは聞き慣れた尾鷲弁の如く、夜通し町並みを流して回る北風の、あまり寒くない虎落笛すら、季は違うが「岩にしみ入る蝉の声」ぐらいになってきたのである。それと大きいのは知人友人の存在だ。地元のヒロコさんタカシさんはこまめに連絡をくれる、それに尾鷲の青木上人夫妻、岩手の藤沢さんからはほとんど毎日、便りやメールが届く。

あまりにタイムラグが無さ過ぎて、間に海があることすら忘れてしまう。ただ一つ、全国の天気予報で大陸南部と共に日本列島が映し出された時だけ、沖縄と三重の、そして岩手までの空間の大きさにあらためて驚くのだ。こんなに離れているのか、と。そして、はるばる自分のところに自分の為に、意思と意味を送ってくれる人がいる、という幸いを実感する。

岩手から
『豆腐の病気』絵巻が
先日のお上人のハガキには、賀状のお年玉くじの切手シートが11枚、奥さんは何と二等のふるさと小包が当たったとあり、切手シート四枚でプチ大喜び?していた僕はちょっと羨ましかった。藤沢さんから届いたレターパックには、巻紙に墨で描いた宮城の民話「豆腐の病気」が入っていた。豆腐が病気だと聞いて大根がお化粧をして、ごぼう、人参、なすびを見舞いに誘うが・・・、という愉快な話だ。たしか前日、「送りました」メールがあったのに岩手ー沖縄が一昼夜とは、さすがに日本郵便は凄いなと「着きました」メールを藤沢さんに送った。21世紀の地球は狭い。