2015年7月26日日曜日

2015年7月26日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(238)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(235)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(238)

向島百花園
文:山尾かづひろ 


百花園の門












江戸璃(えどり):早いものね、あと1週間もしない内に7月も終わっちゃうわね。7月の初旬には東京入谷の鬼子母神で朝顔市があってね、昨日は大矢白星師とその話をしたのよ。

朝顔市降るもよき日と言ふ売り手 梅山勇吉
朝顔市掲ぐ提灯雨雫       寺田啓子
朝顔の売れて火を打つ鬼子母神  小川智子
朝顔市宅配受注てきぱきと    小林道子
朝顔市恐れ入谷を巡りけり    窪田サチ子

都区次(とくじ):前回は井の頭公園でしたが今回はどこですか?

江戸璃:私はね、朝顔市の話をすると無性に晩夏の向島百花園へ行きたくなるのね。というわけで私の独断と偏見で向島百花園へ行くわよ。

梔子に栄華のにほひなどはなく 戸田喜久子

江戸璃:JR日暮里駅から亀戸行きの都バスに乗って百花園前で降りるわよ。

商ひは先づ水打ってからのこと 鈴木佐智子
茂るものあるがままなる百花園 高田文吾
口開けて炎天を来る男かな   藤尾尾花
天日に一弁の透け花芭蕉    松本光生
風死して草木息をひそめけり  内海よね女

江戸璃:向島百花園は江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた花園なのよ。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢(さはらきくう)でね。元旗本、多賀氏の屋敷跡である向島の地に、花の咲く草木観賞を中心とした「民営の花園(かえん)」を造り、開園したのよ。「百花園」の名称は、「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものなのよ。百花園は当時の一流文化人達の手で造られた庶民的で、文化趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさを持っていたのね。民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開したのよ。なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けたのよ。

空蟬は苦節八年殻を脱ぐ    石坂晴夫
四阿に座す風のあそびや若楓  甲斐太惠子
緑陰に読みとき歩く碑の小径  近藤悦子
あをあをと翳りて奇(あや)し濃紫陽花 高橋みどり
四阿の陰に忘れし麦藁帽    油井恭子
墨東の風は気ままに夏落葉   白石文男

江戸璃:帰りは東武伊勢崎線の東向島駅から浅草に出て帰るわよ。











街騒の聞こえぬ晩夏百花園   長屋璃子
糸瓜垂るずしりと重き青さかな 山尾かづひろ

尾鷲歳時記(235)

 フェルメールと舞妓はん
 内山思考

 噴水に振り向き視線濡らしゆく   思考

青いターバンのおっさん












(前回の続き)、高山寺を出て、次に向かったのは東山区祇園町の祇園甲部歌舞練場である。春に都踊りが開催される場所だ。その敷地内にある八坂倶楽部で「フェルメール光の王国展」と称して彼の作品37点の「リ・クリエイト」版が展示されている。最新鋭の画像技術を駆使した原寸大の再創造品とかで、監修はフェルメール好きで知られる生物学者、福岡伸一ハカセである。

「本物と違うの?」と恵子、「これみんな本物やったら国が一つ買えるでしょ」とちょっとオーバーな僕。会館の二階で同時開催中の「舞妓物語展」を見てから四人は街に出た。ここが祇園かあ、と感無量である。暑さしのぎに入った喫茶店のおねえさんに、舞妓さんの名入り団扇を売っている店を聞いて、そこへ行ってみることにした。実は今売り出しの舞妓「まめ藤」の団扇が欲しいと思ったのだ。それで煽げばきっと涼しさが倍増するに違いない。

8月31日まで開催
店はすぐ見つかった。団扇もあった。「これ下さい」と差し出すと店のお爺さんが「千円」と言ったあと、首を傾げて「あんさん、それどっから持って来なはった?」と聞いた。「そこ」と店先をさすと、「ああ、それ売り物違います」「え?」「書いてまっしゃろ」戻って見直すと確かに小さく「NO、SALE」の文字が、って英語かいオジサン。他のはみな千円と言われても、知らん妓の名前ばっかりやし、「まめ藤さんのはどこへ行ったらあるやろ?」と問う方もスカタンなれど、その返事が憎たらしい。「まあ、本人に貰わなしゃあない」・・・、それが出来たら買いに来んわいっと言いたいのをグッと堪えて、哀れな祇園一見客は、土産物屋を冷やかしている他の三人に合流したのであった。ああ暑っ!。