2012年11月4日日曜日

2012年11月4日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(96)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(93)
       内山 思考   読む

■ 私のジャズ(96)        
       松澤 龍一   読む

俳枕 江戸から東京へ(96)

三田線に沿って(その11)
炭団坂・坪内逍遥・内藤鳴雪
文:山尾かづひろ 

坪内逍遥














都区次(とくじ): この炭団坂には文学的由来があるのですか?
江戸璃(えどり): 坂を登りつめた右側の崖の上(現在は日立本郷ビルが建っている)に、坪内逍遥が明治17年から20年まで住み、小説神髄や当世書生気質を発表したのよ。

 初時雨足音の消ゆ炭団坂 畑中あや子

江戸璃:坪内逍遥が明治20年に同じ町内に移転後、旧松山藩主の久松家が同じ場所に松山藩の子弟のために常盤会という寄宿舎を建ててね。旧松山藩士だった内藤鳴雪が文部省参事官を退官後、常盤会の舎監を務めながら藩史料編集に従事したのよ。

内藤鳴雪












旧跡のなつかしくあり暮早し 長屋璃子(ながやるりこ)
時雨傘たたみて坂の本郷へ 山尾かづひろ 



尾鷲歳時記(93)

少女に会いに行く
内山思考 

夕紅葉美女の極みは透き通る 思考

フェルメールの本と
少女の絵葉書など









の魔術師と言われるフェルメールの絵画展に行ってきた。場所は神戸市立博物館。その前の日曜が「風来」の句会だったから二週続けての神戸行である。やはり朝の7時に出て昼頃に着く予定。今回は妻も一緒なので道中いろんな話に花が咲き続けた。夫婦で神戸まで足を延ばすのは確か八年ぶりだ。その時はバスツアーでルミナリエ見物だった。どこかのレストランでサイコロステーキを食べたあと、歩道のわずかな段差に足を取られて思い切り転んだ記憶が恥ずかしくも懐かしい。

博物館の隣の駐車場に車を停めて館内に入ると「ただいまの待ち時間30分」の提示が見えた。そこに並んでいる沢山の人たちも「あの少女」が目当てなのである。「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」は今やアイドルタレント並みの認知度があるだろう。赤い唇を少し開けてこちらを振り向いた可憐な姿が何とも言えない。

暗い館内を人波の一部となって遅々と進み、嗚呼やっと本物に出会うことが出来た。束の間の、そして多分生涯一度きりの邂逅である。なのに妻よ頼むから小声で話しかけるのは止めてくれ。不思議なのは、見つめようとするとその度に彼女の視線が微妙に逸れることである。もちろん絵画なのだからそんなはずはないのに錯覚に陥る、まるで甘美なトリックアートだなと感心した。

わが家の
窓明かりの少女

ころで、フェルメールと言えば、ごく最近まで代表作は「召使い」だったのではなかろうか。美術の教科書にもあった、あの豊満な体格の女性が台所の窓明かりの中でミルクを器に注いでいる絵である。背景が黒一色の「青いターバンの少女」が注目され出したのはごく最近なような気がするのだ。その証拠に僕が持っている1964(昭39)年版の美術本のフェルメールの13点に彼女の姿は無い。しかしまあ、急に脚光を浴び始めたところにも親しみを感じる。ファンの熱い眼差しを浴びる毎日を彼女も喜んでいると思いたい。

私のジャズ(96)

古き良きアメリカ
松澤 龍一

コニ―・フランシス













我々、団塊の世代は、幼少の頃、多かれ少なかれ、あるいはかなり多くを、アメリカ大衆文化の影響の下に育った。先ずラジオで耳にしたのがエルビス・プレスリーであり、ポール・アンカであり、二―ル・セダカ、リッキー・ネルソンだった。アメリカでもこれらの歌手の登場を促したのは、やはり聴き手としての団塊の世代の存在ではなかったかと思う。

それまでのフランク・シナトラ、ビング・クロスビーのような、いわゆる大人の世代を対象とした歌手に代わって登場したのがエルビスでありポール・アンカで、彼らを熱狂的に支持したのがその当時の若者世代だったと思う。やはり、これにはラジオ、テレビとかの大衆メディアの普及が一役も二役も買っていたことを忘れてはならない。

コ二―・フランシス、好きな歌手だった。若者世代を対象として、続々と登場した歌手の中で、比較的に少ない女性歌手の一人だった。その舌足らずな甘えたような歌い口が魅力的だった。「ボーイハント」とか「渚でデート」とか「カラーに口紅」などと言った曲がヒットした。日本でも伊東かおりとか弘田三枝子などと言った歌手がカバーをしてヒットした。コ二―・フランシスも日本語で歌ったバージョンも残している。





この歌い方、懐かしい。でも、やはり一時代昔の音楽の感は否めない。古き良きアメリカだった。「ボーイハント」(原語で Where the boys are)と衝撃的なタイトルだが、中身は健全な女子大生の話で、女はあくまでの女らしく、男はあくまでも男らしくの時代だった。まだ、ベトナム戦争が泥沼化をしていない頃で、アメリカの一番良い時代では無かったかと思う。

アメリカ社会の健全さを支えたのが家庭の健全さであった。「パパは何でも知っている」と言うテレビドラマがあった。日本ではちょうど一般家庭にテレビが入り込んできた頃に放映され始めた。日本人にはアメリカ社会の豊かさをいやと言うほど見せつけられる番組だったが、その反面、憧れも掻き立たせてくれるものだった。

ユーチューブに当時の番組が載っている。懐かしくて思わず見入ってしまったが、このドラマに登場するパパはパパらしく、ママはママらしく、子供は子供らしく演じられている。保険の代理店をやっているパパ、ぴちっとスーツを着て、家に帰ってもネクタイを外さない。ママはショートカットの髪にワンピース(日本なら割烹着であろうが)、美人で優しく、賢く、夫や子供の世話に没頭する専業主婦。

今ではほとんど見られなくなっている風景である。そう言えば、パパが家でタバコを燻らすのも珍しい。良い悪いの価値判断は別として、古き良きアメリカを写す一断面であることは確かである。