2015年8月30日日曜日

2015年8月30日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(243)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(240)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(243)

上野公園
文:山尾かづひろ
挿絵:矢野さとし

不忍池弁天堂





















江戸璃(えどり):早いわね、あと1日で8月も終わりよ。
都区次(とくじ):ところで前回は平林寺でしたが今回はどこですか?

咲き満つといふことのなく白槿  戸田喜久子
秋風を連れて走りぬスニーカー  忠内真須美

江戸璃:池之端の「やぶ蕎麦」でお蕎麦を食べたくなったので、私の独断と偏見で上野公園へ行くわよ。

咲きつぐも散るも不忍水の秋  藤尾尾花
秋冷の金色殿に昇りけり    松本光生
爽涼や今も上野に時の鐘    内海よね女
咲き残る一花ゆかしや蓮の花  江川のぼる
何かにと碑多し蓮の花     笈沼はるを
遊園の楽も淋しや秋の雨    柳沢いわを

江戸璃:三代将軍徳川家光公は太田道灌以来の江戸城の改築を済ませると、余った西ノ丸の旧材と造営費を天海僧正に託したのね。上野が江戸城から見て陰陽道上の鬼門に当たるとして、京都の比叡山延暦寺になぞらえた江戸鎮護の寺の建立を進言したのよ。寛永2年(1625)に創建なった寺は、当時の年号をとって寺号を「寛永寺」とし、京の都の鬼門(北東)比叡山に対して、「東の比叡山」という意味で山号を「東叡山」としたのよ。

大雷雨背中ちぢめしロダン像   近藤悦子
大寺の門扉厳めし花槿      白石文男
入相の鐘澄み渡る白露かな    油井恭子
爽やかやロダンの像の息づかひ  甲斐太惠子
ビル映す不忍池の晩夏光     高橋みどり
涼新た上野大仏無想なり     石坂晴夫

江戸璃:不忍池の話をすると、開祖である天海僧正は東の比叡山にも琵琶湖がなくてはならない、とばかりに用水池だった不忍池を整備。琵琶湖に見立てて、竹生島になぞらえて弁天島を築かせて弁天堂を造ったのよ。

ロダンの像














秋暑し西郷像の眉太き     長屋璃子
秋日傘弁天堂へ背より入る   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(240)

秋の声、時の笑顔 
内山思考 

過去にのみ人の集まる法師蝉   思考

思い出深い写真数葉








九月である。早いものだ。朝、机の前に座ると、いつも開いたまま置いてある大学ノートの無地の頁に目が止まった。そしてそのとなりのメモ帳、卓上用カレンダー、棚の本、CD、縁側の障子、と次々に視線がさ迷い、ああ、白さに心が引かれるのだと感じた。肌にあたる大気もどことなく優しく「こりゃ今日も暑くなるぞ」の嫌な予感がない。そうか秋がやってきたのか、白秋って言うからな、などと一人で合点して本と一緒に立ててある幾つかの写真立てに目をやった。

惠子と一緒のが三つで、それぞれ中国と沖縄と島根で撮ったものである。和田悟朗さん、酒井雄哉さんとのツーショット、中にはゲゲゲの鬼太郎と肩を組んだのもあり、いずれの一葉もその時々を思い返せばつくづく懐かしい。ヤマネが逆さまになってアケビを食べている絵はがきの横が、大笑いしている義兄の写真だ。大らかで優しくて温かい人柄だった四つ上の義兄は三年前に病で亡くなった。子供たちは家庭を持ち、桑名の家には姉とコーギー犬が一匹のこされた。

僕は月に一、二度姉の家に顔を出すようにしていて、ちょうど昨日も惠子が名古屋病院検診の日だったので、待ち合わせて三人で昼食と買い物をした。帰りに家に寄ると姉が、これ見てよとDVDを出してきた。三十数年前の8ミリフィルムを焼き直したものだと言う。生まれたばかりの長男を映したくて、義兄が当時最新鋭の撮影機器を購入したらしい。早速に鑑賞。くすんだカラー映像にあどけない甥(今は娘2人の父)が立っては転び歩いては二十代半ばの母(姉)にすがる。

懐かしの映像
三十分足らずの間、若い父親のカメラはほとんど愛児の姿を追っていた。途中、姉が代わって撮ったらしい義兄の笑顔が一瞬映ったが、すぐ幼子にレンズは向けられた。姉が「お父さんをもっと撮って置いてあげればよかった」とつぶやく。「それだけ子供が可愛かったんや、自分たちが老いることなんか考えてもなかったんやろ」そう言って僕は、あらためて義兄の笑顔を思い出したのだった。