2014年9月7日日曜日

2014年9月7日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(192)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(189)

       内山 思考    読む

尾鷲歳時記(189)

食欲再来の秋 
内山思考 

栗の飯盛れ盛れもっと盛れと言う  思考 


花子とアンならぬ
恵子とパン













恵子が自家製パンの製作に励んでいる。以前から元気になったらパンを焼きたい、それも残りご飯で出来る米パンというのがあるそうだから、それに挑戦したいと言っていたのだ。すると、僕たちが入院中に相談したらしく娘と息子が、お母さんの退院祝いにと電気のパン焼き器をプレゼントしてくれた。「わあっ」と喜んだ恵子は、涼しくなったら使うわといい、9月に入ってやっとその気になったらしく先週のある朝、僕が台所へ下りていくとマニュアルを睨んでいた。そして昼過ぎになってパンの焼ける香ばしい匂いが家中に漂い、「お父さん、出来たでえ」と満面笑みの恵子がパンを乗せた皿を見せた。僕は熱々のもちもちをむしって食べてみて「ああ美味しいね」と笑ったが、お世辞なしに本当にそう思ったのである。

それからの我が家には、食パン米パンくるみパンなどが朝ごとに誕生する毎日。腎移植をする前は食欲がほとんどなく、好物にも箸を少しつけただけで「もうええわ」とご馳走さんをしていた恵子が食べることに意欲的になったのは、ずいぶん久しぶりの嬉しさ。食塩の制限はされているものの、食卓の同じおかずを家族みんなで談笑しながら食べられる幸せを、ご飯と一緒に噛みしめているこの頃である。


本場カレーに舌鼓
昨日は、名古屋の病院に定期検査にいった帰りにインド料理のレストランに立ち寄った。よく覚えていないが一年ぶりぐらいだろうか。ここは本格的なカレーが食べられるのはもちろん、なんといってもナンが最高なんである。テーブルに座っていると「スポン、スポン」と手で生地をこねる音が厨房から聞こえて来るのもたまらない。ポーク・ド・ピアザやチキン・ジャンジリー、パラク・パニールといったさまざまなカレーメニューも僕たちはこの店で知ったのだ。料理の来る前に呑む温かいチキン・スープのトロリとした舌触りを楽しみながら、内山夫妻は思わず顔を見合わせるのであった。

俳枕 江戸から東京へ(192)

谷中(その1)
文:山尾かづひろ 


大雄寺本堂









都区次(とくじ): 前回は麻布の南部坂でしたが、今日はどこですか?

日盛りの物音もなし谷中路地  畑中あや子

江戸璃(えどり):ちょっと飛ぶけれど谷中にいくわよ。
都区次(とくじ):また、どうして?
江戸璃:大矢白星師は第二次大戦中に日暮里駅から開成中学に通学されていてね、谷中は懐かしい場所らしいのね。東京が8月のお盆休みに入って空いてきたでしょう。谷中を歩こうという気分になられたので、私も案内してもらってね。今回はそのコースをトレースしようというわけ。
江戸璃:まずは日暮里駅から日蓮宗の大雄寺へ行くわよ。大雄寺の山号は長昌山でね、日達聖人(元和8年1622年寂)が開基となり、慶長9年(1604)神田土手下に創建されて、万冶元年(1658)当地へ移転してきたのよ。本堂の前の楠(くすのき)の大樹の下には、幕末の三舟の一人、幕臣で槍術に秀で、徳川最後の将軍慶喜公を警固したことで知られる高橋泥舟の墓があるわよ。三舟のあと二人は勝海舟と山岡鉄舟なのよ。
都区次:夕方になりましたが、どうしますか?
江戸璃:日暮里駅から帰るけれど、隣のせんべい屋さんの「嵯峨の家」で手焼きせんべいを買って帰るから付き合ってよ。

高橋泥舟の墓














三舟の一人眠れり秋簾   長屋璃子
黙々と煎餅焼きし秋の風  山尾かづひろ