2011年10月16日日曜日

2011年10月16日の目次

俳枕 江戸から東京へ(41)
             山尾かづひろ   読む
尾鷲歳時記 (38)                          
                   内山  思考    読む

私のジャズ (41)          
                  松澤 龍一     読む

尾鷲歳時記 (38)

桂文我さん
内山思考

思い出が招く思い出青蜜柑  思考 

左から桂三象さん、思考、桂文我さん
妙長寺にて












桂文我さんが尾鷲で落語会をするようになって二十数年経つ。 当初は会場を何ヶ所か変えたものの、今ではほとんど妙長寺の本堂で行う。先日の36回目も大盛況だった。 爆笑王と呼ばれた師匠、桂枝雀ほどの派手さは無いものの、文我さんの語り口は穏やかで、どの演目を聴いても心が安らぐ、どれほど笑わせても客の体力を奪わず反対に「笑い力」を与える、例えるなら菩薩行のような芸風だな、と僕は感じている。

最初に聴いたのは四代目・桂文我を名乗る前、雀司時代の「花色木綿」だと記憶している。その時僕は生の落語に接するのが初めてで、とても緊張して上手く笑えなかった。悔しかったので、帰宅してから部屋に籠もって「アッハッハー」と笑う稽古をしたものだ。そのせいかどうか今は自然に笑える。 プライベートで話していても、文我さんが勉強家で真摯に芸に打ち込んでいることはよくわかる。何より博学である。しかし衒学(げんがく)ではない。ちゃんとこちらにも話を振ってくれるし、何人か居れば、座の隅々に気を配っている様子が見て取れるのは流石だ。

平成五年、僕がNHK大阪のスタジオで「矢数俳諧」に挑戦している時、ニュースか何かでカメラが離れホッとしながら句作していると、「思考さん、思考さん」と声がする。振り返ったら雀司(文我)さんがニコニコ笑っていたので嬉しくて泣きそうになった。環状線、鶴橋駅の雑踏の中で偶然鉢合わせしたこともある。あれには驚いた。「これ、地方限定品ですよ」と手渡されたのは「明太子味」か「たこ焼き味」のポッキーだったような…。
文我襲名の際に頂いた文我人形

文我さんの演目はどれも好きだから、この一席、と決められない。それでも今、何が聴きたい?と問われたら「しじみ売り」と答えるだろう。 江戸期の、寒い十日戎(えびす)の晩の人情噺で、これを聴くと、ああ、人間て素晴らしいな、と心が暖かくなるのである。

俳枕 江戸から東京へ(41)

亀戸界隈/亀戸天神
文 : 山尾かづひろ  挿絵 : 矢野さとし 

亀戸天神














都区次(とくじ): 今度は亀戸周辺を歩いてみましょう。亀戸と言えば亀戸天神が有名です。祭神・菅原道真公(菅公かんこう)の「東風(こち)吹かば匂ひをこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ」の歌と「飛梅」の伝説から九州福岡県の太宰府天満宮が天神様の総本社だ、というのは私なども知っている話ですが、太宰府天満宮と亀戸天神の関係は何ですか?
江戸璃(えどり): 正保年間(1644~1647)太宰府天満宮の神官だった菅原大鳥居信祐(菅公の末裔)が神のお告げによって菅公ゆかりの「飛梅」の枝で天神像を刻んで、天神信仰を広め社殿建立の志をもって、遠くは日光・盛岡などの諸国を巡り歩いて、のちに江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々村にあった天神の小さな祠に、その刻んだ天神像を祀ったのが始まりなのよ。
都区次: それにしては、この神社の規模は、そんじょそこらの神社とは比較になりませんね。
江戸璃: そうなのよ、わけありのコンコンチキなのよ。そのころ明暦3年(1657)の大火があってね、被害から復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱は天神様を鎮守神として祀るようにと現在の社地を寄進したのよ。そして寛文2年(1662)、地形はもとより、社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰府天満宮に倣い造営されたのよ。
都区次: 亀戸天神というと鷽替(うそかえ)神事が有名ですが、どんなものですか?
江戸璃:鷽替神事は例年1月24日~25日におこなわれてね。縁起物である木彫りの鷽(ウソ)が授与されるのよ。「去年の悪(あ)しきはうそ(鷽)となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによるのね。
都区次:天神様ですから梅はどうなのですか?
江戸璃:それは当然、「梅まつり」があるわよ。例年2月の第2日曜日~3月の第2日曜日までやってるわよ。
都区次:藤も有名ですね。
江戸璃:「藤まつりは」4月25日~5月5日におこなわれてね。敷地内の藤棚が一斉に開花して、神社中が一面藤色に染まるのよ。太鼓橋の上から見渡すことで、一面の藤棚を上から見下ろせることも特徴ね。江戸時代から亀戸の藤と呼ばれた藤の名所なのよ。

亀戸天神藤まつり



















橋脚に亀の集へり水の春   長屋璃子(ながやるりこ)
境内に詩吟朗々梅は実に   山尾かづひろ

私のジャズ (41)

大坂ド演歌とマタイ
松澤 龍一

メンゲルベルク指揮 バッハ「マタイ受難曲」 
(PHILIPS PHCP-20493/5)












今回は「マタイ受難曲」である。ジャズでは無い。一般にクラシックと呼ばれているものである。それも、大バッハの作品、それも、大宗教曲である。全体を聴き終えるのに3時間を要する大曲である。私の愛聴曲で、CDも4組ほど持っており、毎年3月から4月にかけて東京で行われるコンサートには欠かさずに行っていた。ヨーロッパでは3月になるとあちこちで「マタイ」が演奏されると、オランダの友人が言っていた。この友人も、又、マタイフリーク。「マタイ」の演奏の極めつけは、やはりこのメンゲルベルクのものであろう。録音は1939年4月2日アムステルダムでのライブ録音である。ひと昔もふた昔も前の指揮者であるメンゲルベルクの時代がかった指揮が素晴らしい。アリアではアルトの歌手が粘る粘る、これほどかと言うまでに感情を込めて歌う。聴衆のすすり泣きが聞こえる。これを聴くと思いだされるのが中村美津子の大坂ド演歌。このアリアはこんな感じであるが、勿論、音源はメンゲルベルクのものでは無く、最近のもの。従って歌も中村美津子風では無い。


字幕を良く見てほしい。コテコテ大阪弁だ。嬉しくなった。マタイに大坂、それも通天閣辺りのディープな大坂を感じ取ってくれた人がいることが嬉しい。マタイは堂々たる合唱曲を持って幕が開く。




これから、途中休憩を挟んで、3時間強マタイの世界に浸かることになる。なかだるみもある。眠くなることもある。お腹がすくこともある。ぐっと、これらを我慢することが肝要だ。一度さわりの部分だけ編集してみたことがある。全然感動をしなかった。やはり、これらに耐えてこそマタイ受難曲の本当の良さが体感できる。そして、迎える終曲。感しますね!