■ 俳枕 江戸から東京へ(198)
山尾かづひろ 読む⇒
■ 尾鷲歳時記(195)
内山 思考 読む⇒
2014年10月19日日曜日
俳枕 江戸から東京へ(198)
谷中(その7)
文:山尾かづひろ
都区次(とくじ): 前回は谷中の本寿寺でしたが、今回はどこですか?
走り根に窪にどんぐりかくれんぼ 大森久実
江戸璃(えどり): 今回も大矢白星師が8月のお盆休みに谷中を歩いた分のトレースの続きなのよ。というわけで谷中の瑞松院へ行くわよ。瑞松院は臨済宗妙心寺派の寺院で、開山は僧渓山で、寛文4年(1664)に玉林寺境内に創建したといわれているわね。有名人の墓としては小説家の新田潤(明治37年~昭和53年)が眠っているわね。新田潤は長野県上田市出身で、本名は半田祐一。高見順らと『人民文庫』を創刊、プロレタリア作家として活動。戦後は風俗小説も書いたわね。代表作は『片意地な街』『太陽のある附近』『禁断の果実』『色事師と女』等があるわよ。
どんぐりの落ち尽くしてや暮色濃し 長屋璃子
菊芋焼く墓地に迫りし切り岸に 山尾かづひろ
文:山尾かづひろ
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瑞松院本堂 |
都区次(とくじ): 前回は谷中の本寿寺でしたが、今回はどこですか?
走り根に窪にどんぐりかくれんぼ 大森久実
江戸璃(えどり): 今回も大矢白星師が8月のお盆休みに谷中を歩いた分のトレースの続きなのよ。というわけで谷中の瑞松院へ行くわよ。瑞松院は臨済宗妙心寺派の寺院で、開山は僧渓山で、寛文4年(1664)に玉林寺境内に創建したといわれているわね。有名人の墓としては小説家の新田潤(明治37年~昭和53年)が眠っているわね。新田潤は長野県上田市出身で、本名は半田祐一。高見順らと『人民文庫』を創刊、プロレタリア作家として活動。戦後は風俗小説も書いたわね。代表作は『片意地な街』『太陽のある附近』『禁断の果実』『色事師と女』等があるわよ。
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瑞松院山門 |
どんぐりの落ち尽くしてや暮色濃し 長屋璃子
菊芋焼く墓地に迫りし切り岸に 山尾かづひろ
尾鷲歳時記(195)
晩秋の橋を渡る
内山思考
直線を投げかけている芒かな 思考
相変わらず尾鷲と名古屋と桑名を行ったり来たりしている。つまり自宅と、恵子の入院している病院と下宿替わりの姉の家である。恵子はヘルペスではなくただ身体が痛いという自覚症状だけで、担当医も今のところ原因がわからないそうだ。移植した腎臓は元気に働いているというのに一体どうしたことだろう。僕は洗濯と買い物などの雑用以外は、個室の南窓際のソファーに座り、向かい合わせにしたパイプ椅子に脚を投げ出して、一日中、本を読んだり原稿をコチコチ打ったりしている。
テレビ(音量小)はついたりついてなかったり。部屋には医師や看護師さんの他に、長いホースの掃除機を操るお兄さん、モップかけのおじさん、洗面所トイレ掃除、お茶入れのお姉さんおばさんたちがたびたびやってくる。医師看護師以外はみな伏し目がちにもくもくと自らの仕事を片付け、一礼して去ってゆく。
内山夫婦は、2月に沖縄から帰って3月の検査入院から半年間の大部分はこの病棟にいる。だから顔見知りも何人かいて、たまにこちらから話しかけることもある。「いい天気やね」「台風大丈夫だった?」「日が短くなってきましたね」などなど。二言三言交わす内に表情が柔和になるのを見ながら、僕はその人の日常の1コマに触れたことを喜ばしく思い、時には、この人はどんな人生を送って来たのかな、と余計な想像を膨らませたりもする。
やがて4時。そろそろ帰宅(桑名へ)時間だ。立ち上がってスクワットを30回。座りっぱなしだから、これをしないと全身の気が巡らない。それから恵子が調子のいい時は、1日分の原稿にざっと目を通して貰いながら、大きな東向きの窓の外、白い街の凸凹に陰が染みてゆくのを眺める。この日曜日は「風来」の句会だし、次の土曜日は伊丹市の柿衞文庫まで足を延ばして「北山河、人と作品」を語る予定。思考によって伸び縮みする時間と空間、僕と恵子は今、目に見えない大きな橋を渡っているところである。
内山思考
直線を投げかけている芒かな 思考
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自宅前の路地 |
相変わらず尾鷲と名古屋と桑名を行ったり来たりしている。つまり自宅と、恵子の入院している病院と下宿替わりの姉の家である。恵子はヘルペスではなくただ身体が痛いという自覚症状だけで、担当医も今のところ原因がわからないそうだ。移植した腎臓は元気に働いているというのに一体どうしたことだろう。僕は洗濯と買い物などの雑用以外は、個室の南窓際のソファーに座り、向かい合わせにしたパイプ椅子に脚を投げ出して、一日中、本を読んだり原稿をコチコチ打ったりしている。
テレビ(音量小)はついたりついてなかったり。部屋には医師や看護師さんの他に、長いホースの掃除機を操るお兄さん、モップかけのおじさん、洗面所トイレ掃除、お茶入れのお姉さんおばさんたちがたびたびやってくる。医師看護師以外はみな伏し目がちにもくもくと自らの仕事を片付け、一礼して去ってゆく。
内山夫婦は、2月に沖縄から帰って3月の検査入院から半年間の大部分はこの病棟にいる。だから顔見知りも何人かいて、たまにこちらから話しかけることもある。「いい天気やね」「台風大丈夫だった?」「日が短くなってきましたね」などなど。二言三言交わす内に表情が柔和になるのを見ながら、僕はその人の日常の1コマに触れたことを喜ばしく思い、時には、この人はどんな人生を送って来たのかな、と余計な想像を膨らませたりもする。
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林檎のある窓辺 |
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