2013年2月10日日曜日

2013年2月10日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(110)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(107)
       内山 思考   読む

俳枕 江戸から東京へ(110)

山手線・日暮里(その9)根岸
(上根岸88番地の家②)
文:山尾かづひろ 

古島一雄












都区次(とくじ):正岡子規が大学を中退して俳句研究をすることに陸羯南は批判的だったわけですが、結果的に自分の経営する新聞「日本」に入社させていますね。これはどういうわけですか?
江戸璃(えどり):子規が明治25年2月に引越しをしてきて、陸羯南と隣同士になって毎日往来するようになるでしょ。陸羯南にも俳句が理解できるようになったわけよ。それと陸羯南にしても子規を経済的に自立させなければならないわけね。当然、新聞「日本」の記者として使うことも選択肢の一つとしてあった筈よ。ただし陸羯南は子規にどの程度の記者のセンスがあるのかは分らなかったのね。それで、新聞「日本」に何か出してみるかと子規に言ったわけ。かねてから書いてあった紀行文「かけはしの記」を5月に出さしたのよ。
都区次:陸羯南から見た子規の記者のセンスはどうだったのですか?
江戸璃:陸羯南は「かけはしの記」を子規の初陣だと称賛しているけれど、それを見ただけでは記者のセンスの有無は分らなかったのだと思うわよ。

実力の未だ疑問符冴返る 畑中あや子

江戸璃:それで編集長の古島一雄に子規を入社させたいので逢ってみてくれと指示したのよ。どういう事になったかは次回に話すわね。
都区次:ところで昨日の2月9日は初午でしたが、子規は王子稲荷へ行ったことがありますか?
江戸璃:子規は「追々に狐集まる除夜の鐘」という句と「王子紀行」という文章を残しているので、王子稲荷の初午に行っても不思議ではないわね。「王子紀行」では明治27年8月13日の夕方、祭を内藤鳴雪、中村不折とで見に行っていて、行きは上野から汽車で、帰りは歩いて帰ってきているわね。

王子稲荷神社










垣間見て屋敷稲荷の牛祭 長屋璃子(ながやるりこ)
見番の祠ともりぬ一の午 山尾かづひろ

 

尾鷲歳時記(107)

基(もとい)さんのいない春
内山思考 


子規全集春山のごと誘えり  思考

子規全集と天狗倉山












福田基さんの訃報は1月の風来俳句会の席上で、和田悟朗さんによってもたらされた。驚くと同時に「ああ、基さんとうとう逝っちゃったのか」と心の底から悲しくなった。白髪で巨躯、爛々と輝く大きな眼に鷲鼻、大先輩なのに僕は失礼も省みず天狗だ妖怪だと書くわ喋るわ、本当に基さんごめんなさい。「白燕」時代からのお付き合いだから二十年ほどになろうか。

ぶっきらぼうで句会でも辛辣な発言が多かったが、実は心根のやさしい人なのは皆が知っていたし、僕はそんな基さんが大好きだった。その頃から頑丈そうな外見に似合わず病を幾つか抱えているとよく話していて、もう明日にでもどうにかなってしまいそうなことばかりいうので、そのたびに僕は「また言ってるよ、そういう人に限って長生きなんだ」と腹の中で思っていた。それも基さんごめんなさい。いつかこのコラムで大蔵書家だった基さんのマンションへ妻を連れて本を貰いに行ったことを書いた。

あの時、実は欲しかったけど言い出せなかった一冊がある。それは原逸朗(うはらいつろう)さんの句集「立春大吉」だ。その中に和田悟朗さんが俳句を始めるきっかけになったという伝説の一句

春めくや物言う蛋白質に過ぎず  逸朗

が収められている筈だった。しかし、何故か言い出せないまま帰って来てしまったのを今も少し後悔している。

福田基第八句集『虎杖の夢』は
全て手書き手作り
最後に会ったのは確か、僕が柿衞文庫で「和田悟朗・人と作品」というテーマで発表をした時だからもう四年前になるだろうか。そんなに会ってなかったのか。でも、わからない漢字や物事があるとすぐに基さんに聞くのが常だったし、そうそう、正月は必ず電話をかけたものだった。理由は簡単

賀状の句読めぬと基氏に電話  思考

見事な崩し字を読めないこちらが悪いのだが・・・・。あの日貰ったまま本棚に眠っている子規全集(全22巻)を一度最初から読んでみようかと思っている。基さん有り難う、また会いましょう。


福田基神話に帰り龍の玉  思考