2015年2月1日日曜日

2015年2月1日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(213)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(210)

       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(213)

人形町(その5)
文:山尾かづひろ 

 
大観音寺









都区次(とくじ):2月だと言うのにいつまでも冬の景ですね。
江戸璃(えどり):正確には節分前だから、まだ冬で寒中よ。水仙が綺麗よね。

長考の果て水仙の香を感ず  戸田喜久子

都区次: 前回は宝田恵比寿神社でした。今回はどこへ案内してくれますか?

本尊は観世音仏頭春隣  畑中あや子

江戸璃:大観音寺よ。今回も大矢白星師に12年ほど前に案内して貰ったコースを同じ説明をして歩こうというわけ。人形町交差点から南へ少々歩いた西側へ行くわよ。打ち並ぶ商店街の間に大観音寺はあるのよ。鎌倉は鶴ヶ岡八幡宮の門前に鉄井(くろがねのい)があるけれど、そこから出土した鋳鉄製観世音菩薩像の仏頭を本尊としているのよ。頭部だけではあるけれど、秀作として都有形文化財に指定されているのよ。ただし毎月17日の開帳の日にしか拝めないのよ。
都区次:仏頭は元々鎌倉の何だったのですか?
江戸璃:新清水寺(しんせいすいじ)という寺でね、京都の清水観音に帰依していた北条政子が浄光明寺の近くに創建したというのよ。本尊は、鉄造聖観音像だったのね。正嘉2年(1258)1月17日、長谷の安達景盛の館からの出火がもとで焼失したといわれているのよ。新清水寺が焼け落ちたとき、突如強い光が発せられ、巽(たつみ)の方角、即ち南東に飛び去っていったそうなのよ。 翌日、村人が火災の跡片づけをすると焼けた観音様の胴体はあったけれど首がどうしても見つからなかったそうなのよ。人々はあの光が観音様の首だったと噂したわけ。数年が経ち、雪ノ下の井戸が、目を洗えば治り、常用すれば風邪をひかず、胃腸病や傷も治るという評判になっちゃったのよ。そのうち、観音様のお首が井戸の中にあるに違いないという話になってね。江戸時代、井戸替えのときに井の底を掘ると観音様のお首が現れたからビックリよね。お首は観音堂に安置され、井戸は「鉄ノ井」と呼ばれるようになり、参詣者が絶えなかったそうよ。明治の神仏分離令による廃仏毀釈の流れの中、由比ヶ浜に捨てられるところを、船で東京深川の御船蔵前に運ばれたとされていてね。その後、東京人形町の大観音寺に移されて今のお姿になっているというわけ。
観世音(後方)












佐保姫の気配か仏頭おろがめば 長屋璃子
擂粉木の大小売られ春隣    山尾かづひろ

尾鷲歳時記(210)

ムーチービーサ 
内山思考 

伝説に鬼は欠かせず力餅   思考

昼食はムーチー








1月27日(旧暦12月8日)は「鬼餅(ムーチー)の日」である。沖縄ではこの日、餅を月桃の葉に包んで蒸した粽を食べ無病息災を願う。いわゆる鬼やらいである。前日のマーケットには、月桃のいい匂いを漂わせた沢山の鬼餅(力餅とも言うらしい)が並び、ほとんどの買い物客がカゴにそれを入れて行く。

外見は葉の緑一色だが、中は白、黒糖、紅(紅芋)、緑(ヨモギ)などがありいずれも甘い。でもひろこさんに言わせると、砂糖を入れるなんて最近の風潮で、何も入れない白餅を砂糖やきな粉につけるのが本来の食べ方なのだそうだ。これ、同じように見えて実は違って、味を自分で調整出来る利点がある。たとえば、刺身の上から醤油をかけるのと、小皿に入れた醤油に刺身をつける差とでも言おうか。

さて内山夫婦も郷に従い鬼餅を買って来てレンジでチンしたら、それでなくても柔らかな餅が葉っぱに糊状にくっ付いて難儀した。翌日、散歩の途中で行き着けの喫茶店のお姉さんに聞くと、出来立てより1、2日置いた方が葉離れがいいよ、レンジも少し、とのこと。そして帰り際に「内山さん、これあげる」とプレゼントされた老舗の鬼餅の袋を下げて、僕はアパートへの復路を辿った。

寒くてもコスモスが
鬼餅の由来はこうだ。昔々、兄が鬼になって人を喰うことに心を痛めた妹が、一計を案じ、山上に棲む兄を訪ねた。妹はまず兄に鉄入り餅を食わせ、自分は普通の餅を股を広げてムシャムシャ食べた。硬い餅を平気で喰う妹の姿を恐れた兄が、「下の口は何だ?」と聞くと、間髪を入れず妹が「上の口では餅を喰い、下の口では鬼を喰う」と答えたので、兄は驚きのあまり崖から真っ逆様に落ちて死んだ、その日が12月8日だったというのである。得てして民話は内容が凄惨であっても、それを上回る大らかさ滑稽さに満ちているものである。ちなみにこの時期に寒い日が続くことを「鬼餅冷さ(ムーチービーサ)」と言うそうだ。

徒歩五分鬼餅寒(おにもちざむ)の小買物   思考