2013年8月18日日曜日

2013年8月18日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(137)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(134)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(137)

山手線・日暮里(その37)
根岸(上根岸82番地の家(22)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

伊藤松宇













都区次(とくじ): 日清戦争の従軍記者の帰路に喀血した子規は神戸・須磨で療養の後、松山の夏目漱石の下宿「愚陀仏庵」に8月28日から10月17日まで52日間逗留をして、当地の「日本派」の30名の指導をしたとの事ですが、この「日本派」とは何ですか?
江戸璃(えどり):明治時代の俳句の流派のことなのだけれど、子規は新聞『日本』の社員として俳句革新運動を主唱して、明治26年(1893)同新聞の文苑欄募集俳句の掲載を行ったのね。その新聞『日本』で活躍した俳人たちを「日本派」と呼んだのよ。
都区次:また子規はこの中で「運座」を指導したとなっていますが、これは何ですか?
江戸璃:現在の皆さんが行っている互選の句会の形式とほぼ同じといって差し支えないわね。
都区次:この「運座」は子規にとっても新しい方法だったように、聞こえますが、どうですか?

運座を教わった子規年の暮  大森久実

江戸璃: 実は子規は明治25年の年末まで句会の作法を知らなかったのよ。この「運座」という新作法を伊藤松宇(いとうしょうう)のグループ「椎の友会」でやっていると知って、まず子規が見てきて、「日本派」の重鎮・内藤鳴雪と「椎の友会」に入って学んだのよ。この「運座」は句会の方法をガラッと変えてね。日本派の句会数だけれど明治24年には3回だった句会が、明治25年には9回、明治26年には40回にもなったのよ。
都区次: 日本派は「運座」以前はどんな句会をやっていたのですか?
江戸璃: 「競吟(せりぎん)」という方法でね。何分間という時間を定めて置いてね、その間に題に従って幾句作れるか、を競う方法だったのよ。
都区次:子規の新派俳句に対して旧派と言いますが、旧派はどんな句会をやっていたのですか?
江戸璃:これは点取俳諧と呼ばれるもので、点者(宗匠)に有料で採点を請うて、点の多さを競う俳諧で、金持ちの旦那衆にとっては吉原辺りの悪所に行くよりは見栄えもよく、景品を添えるなど娯楽的で江戸・京都・大阪で流行ったのよ。
都区次:今日は8月15日ですが、深川八幡宮のお祭りだそうですね。
江戸璃:今年は陰祭で、勇壮な大人神輿の渡御はないから涼しい夕方から行ってみない?

内藤鳴雪













深川の祭待つ人路地路地に 長屋璃子(ながやるりこ)
深川の路地に灯の入る祭髪 山尾かづひろ


尾鷲歳時記(134)

夏期休暇
内山思考

紀伊半島はインドの形残暑なる  思考


閑静で美しい三木里海水浴場











桑名に住む姉と甥の一家がやって来た。会社員の甥がやっと休暇をとれたようである。みんな海好き魚好きだから、尾鷲は彼らにとって最高の避暑地なのである。その夜は海の幸に舌鼓を打って、明くる日、市外の三木里へ海水浴に出掛けた。朝から日射しが強く水遊びには絶好のコンディションである。目的地は僕の家から三十分足らずだからすぐ到着、甥夫婦と浮き輪を持った子供二人(女の子)は早速波打ち際へ向かい、僕も少し遅れて後を追った。妻と姉は海の家の縁台で見張りとお喋りが役目である。

しかし、海水浴なんて久しぶりだ。広い砂浜にはアベックやら家族連れが結構来ていて、時が経つにつれその数はどんどん増えているように思われた。腰まで水に浸かるとひんやりとした冷たさに一瞬躊躇するが、思い切ってしゃがむと身体がすぐ海になじんで心地よい浮遊感に包まれる。甥たちが楽しんでいる様子に満足して、僕は少しだけ沖へ向かって泳ぐことにした。

海の家でくつろぐ妻(左)と姉
やはりこういう場合、平泳ぎがスタンダードである。しかし、三十秒もたたないうちに、もたげた首が疲れてきたので仕方なく内山流の横泳ぎに変更した。


大洋の原虫として泳ぐなり  思考

その内に随分陸から離れた気がして、体を回してみると何のことはない。さっきの場所から20メートルほどの場所である。でも軽い疲労感を覚えたので一度あがることにした。
「ここ良いですね。水は綺麗だし、混んでないし」と甥は白い歯を見せる。小学一年のお姉ちゃんはスイミングスクールに通っているから水が怖くないと見え、息継ぎをする間も惜しんで潜って遊んでいる。妹も海が初めてという割にはバタ足が上手だ。僕はついつい笑顔になってしまうのだった。

さて海を出て、妻たちのいる日陰を目指して歩き出したのはいいが、日が高くなるにつれ砂が灼けてきたらしく、耐え難いほど足の裏が熱い。「アツツ!」と叫びながら、青春時代に戻ったようなその感触がやけに懐かしかった。