2012年10月21日日曜日

2012年10月21日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(94)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(91)
       内山 思考   読む

■ 私のジャズ(94)        
       松澤 龍一   読む

俳枕 江戸から東京へ(94)

三田線に沿って(その9)啄木と金田一京助
文:山尾かづひろ 

金田一京助と啄木












都区次(とくじ): 前回、啄木は本郷で金田一京助の世話になったとのことでしたが、私なりに調べてみました。金田一京助は旧制の盛岡中学の一学年上の先輩で、元々は歌人志望であったため啄木とは親友であったそうです。
江戸璃(えどり): 啄木が東京に出てきた明治41年に金田一京助は東大を卒業して海城中学の教師として赴任していて、生活の基盤ができていたので啄木も頼ってきたのよね。

夕暮れて本郷界隈そぞろ寒 小熊秀子

都区次: ところで、実際の啄木は知人に借金をしては倒し、嘘ばかりをつく気ままな人間だったようです。東京に出てきて約一年後に就職活動が実って「東京朝日新聞」の校正係となり、当時としては恵まれた30数円という月給をもらっていたのですが、吉原通いをするなど浪費生活を送っていたために常に金に困っていて、金田一京助の援助を受けていたそうです。金田一京助の妻が夫から言いつかって啄木家に金を届けると、何と啄木は芸者を揚げて騒いでいたことすらあったそうです。これで「働けど、働けど、我が暮らし楽にならざりぢっと手を見る」ではどうかと思いますね。
江戸璃: ちょっと待ってちょうだい!! 私の「啄木」はそんなフラチな男なんかじゃないの!!啄木の話はこれで終りにして次回は別の場所へ行くわよ!!

吉原の遊女(明治期)









秋すだれ宿の歴史の百年余 長屋璃子(ながやるりこ)
秋深む男に捨てし故郷あり 山尾かづひろ 


尾鷲歳時記(91)

天狗倉山(てんぐらさん)
内山思考

青空の溢るる朝や金木犀   思考

天狗倉山
左稜線の下方が馬越峠


















僕の家は天狗倉山の麓にある。尾鷲にいると、日常、意識するしないにかかわらずこの山は必ず視野のどこかにあり、僕たちは、尾鷲湾からいきなり聳え立つ522メートルの山塊の存在にどこか安心感を覚えているようだ。その証拠に、たまに尾鷲を出て平野部に行くと、何だか広い空に吸い込まれそうで落ち着かない。年に二、三度登るが大抵は思いつきである。天気のいい朝など二階の物干しから山容を眺めている内に、不意に「よし、登ろう」と言う力が漲って来るのは、天狗が呼んでいるのだろうか。

今日もそうだった。出発は10時、帰宅は多分12時、タオルも杖も持たないのは手ぶらが一番楽なのがわかっているからだ。しかし、ケータイだけ持つのは尾鷲の俯瞰の景色を写メールで撮るため。それと今回は小さな青ミカンを両のポケットに入れた。家を出て少し行けばもう馬越(まごせ)峠の登り口で、コスモスの揺れる明るい墓群の上方に、これから登る天狗倉山が迫り、頂上の通称「大岩」が小さく白く光っている。

あそこまで行くのか・・・、と溜め息をつきたくなるが、上りに体が慣れてくれば足の運びも軽くなって来るものだ。やがて木立に入ると石畳になり汗がスーッと引いて行った。いつも感心するのは、一見、大小の岩を無造作に敷き詰めた石畳が、どんな歩き方や歩幅にも合う、合理的な道だと言うこと。階段のように一定の幅と高さを同じリズムで歩かなくていいから、疲れが少ないように思う。

頂上で会った人達
女性は九州の佐賀から来たとか
さて、馬越峠に着いた。この先を下れば紀北町(旧海山町)。頂上へはまだしばらく急勾配が残っている。ここまで数人のハイカーとすれ違ったが見ず知らずでも 「こんにちは」「いい天気ですね」笑顔の挨拶が自然に出来るのは心地良い。街中だとそうはいかないのが人間社会の不思議さである。荒い息を吐きながら、それでも頂上の大岩の背後が樹間に見えたので一安心すると、頭上から先客らしい女性の声が華やかに聞こえて来た。

私のジャズ(94)

ジャンゴ
松澤 龍一

DJANGOLOGY 
(Bluebird BVCJ-37930)












ジャンゴ、ジャンゴ・ラインハルトはヨーロッパで活躍したジャズギタリストである。名前は知っているがほとんど聴いていない。近くの図書館で偶々見つけたCDを二枚借りてきた。一つは THE BEST OF DJANGO REINNHARDT 、もう一つが DJANGOLOGY  と言うオムニバスのアルバムである。

いずれもほとんどの曲に、ジャズのバイオリニストのステファン・グラッペリが付きあっており、サックスとかトランペットのようなジャズの古典的な楽器は使われていない。どこかジャズと違う感じがする。ギター、それもアコースティックギターとバイオリンのような組み合わせから来るものなのか。ジャズを聴いている気がしない。ジャンゴのギターはどう聴いてもクロード・チアリを連想してしまう。



ジャンゴはジプシーの出身である。彼の心にはヨーロッパ大陸を放浪するロマの血が流れている。   ヨーロッパ各地を渡り歩き、その地その地の固有の文化をにかわのように結び付けているロマの血が。すると、これはロマの音調かも知れない。アメリカ大陸の黒人のブルースの音調は希薄である。いわゆるジャズに聞こえないのも不思議はない。その人が心の底に持っている固有の民族的音調、音律が他の民族的音調、音律に触れてスパークしたのがジャズとすれば、これも立派なジャズであろう。

アメリカ大陸の黒人たちにもジャンゴは敬愛されていた。彼が死んだとき作られたのが「ジャンゴ」と言う曲で、MJQの演奏で有名である。ジャンゴと言う名はギタリストしてより、このMJQの演奏する曲名として知られていたような気がする。