2011年1月2日日曜日

2011年1月2日の目次

明けまして、おめでとうございます。
現代俳句協会ホームページは昨年12月1日にリニューアルされました。そのとき現代俳句ITblogを閉鎖し、代わって当ブログを立ち上げました。
もっと内容を増やしたいと思っています。ある程度出そろったところでこのブログのかたちを決めたい、そういう意味では途上にある、ということになります。「私のジャズ」で、すでにお分かりの通り俳句のジャンルに限らない、読んで楽しい内容を掲載したいと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。 
現代俳句協会IT部

アンドレイ・タルコフスキーの芭蕉(下)
            大畑  等  読む
俳枕 江戸から東京へ(3) 
            山尾かづひろ 読む
私のジャズ(3)
            松澤 龍一  読む

アンドレイ・タルコフスキーの芭蕉(下)

大畑 等

『ノシタルジア』はイタリアで撮影された。冒頭、出産の聖母(フランチェスカ)像が出てくるが、宗教的なモチーフはない、また哲学的でもない。ロシアには哲学は要らない、詩と文学がその代わりを果たしているから、と言われるが、もう一つ映画を加えてよいのかもしれない。

タルコフスキーは、ロシア人亡命者のロシアへの宿命的な愛着と、外国の生活を悲劇的なまでに受け入れられない同化能力の欠如を映画に撮りたかった。世界や自分とのあいだの深い不和、存在の全一性にたいするグローバルな憂愁、これらがノスタルジアを引き起こす、ノスタルジアという名の病だ、と彼は言う(撮影後、タルコフスキーもまたこの病をかかえることになる)。映画『ノシタルジア』では、主人公の生家、母、子供、妻、犬が出てくるが、これらはタルコフスキー自身のロシアそのものであろう。また水、瓶、雨はとりわけ美しい映像であるが、タルコフスキーはここに象徴もメタファーもないと言う。全身で感覚したそのものを映像にした、ということだろう。

『映像のポエジア』より









〈ノスタルジア〉という病をもったロシア人のゴルチャコーフは、イタリアにあって優柔不断、行動に首尾一貫性がない。異性からの愛にも応えられず罵倒される。対照的なのはパラノイア症者のイタリア人ドメニコである。彼はローマの広場で、人間性を踏みにじる今日の文明に抵抗しようと訴え、直後焼身自殺を遂げるが、所詮人々の目には茶番である(広場に持ち込んだカセットデッキから出るベートヴェンの交響曲第9番(歓喜の歌)がグニャリと間延びして途中で止まる。愛犬だけは状況を察知して吠える)。かつて彼は「世界の終わり」を悟って、家族を7年間監禁した。警察によって解放された子供は、山間の道路を走る車を見て「パパ、これが世界の終わり?」と訊ねる。ここでも彼の行動は茶番にされる。

しかし、主人公ゴルチャコーフはドメニコの「内的完全性」に感動し、彼との約束(ろうそくの火を消さずに温泉を渡る)を実行する。世間では意味のない行動をゴルチャコーフはやり遂げ、その後フィナーレである雪の廃墟のシーンに移る。さて芭蕉のこの句、

雪ちるや穂屋の薄の刈残し  芭蕉 

世界からの孤絶と存在への懐疑をテーマにしたタルコフスキーは、廃墟(薄の刈残し=寺院)の中に廃墟(穂屋=生家)を見たのである。実際最後のシーンはトスカナの丘陵地帯とロシアの村が合体した映像である。


『映像のポエジア』より
 












また、『タルコフスキーの映画術』では以下のような記述がある。そのまま書き抜くと、

霧の中の秋雨!私の方にではなく隣家に向かって傘が音を立てて通りすぎる
[小夜時雨隣へ這入る傘の音]

嵐蘭の句であるが、句の前にある解釈はタルコフスキーのものか、ロシアの日本文学研究者のものかは不明である。いずれにしても「私の方にではなく」、「通りすぎる」が日本的抒情からすれば特異である。その解釈には個我意識の強い文化を感じる。対して私たちの文化は、かすかな「傘の音」に意識を向ける。しかし、異文化の文脈で読みとられる俳句に、私は大いに刺激を受ける。あまりにも現在の俳句が閉塞的だから。
(終わり)


俳枕 江戸から東京へ(3)

皇居界隈/皇居東御苑
文:山尾かづひろ 
天守閣跡








【皇居東御苑】
都区次(とくじ):大手門より皇居東御苑に入ると緑豊かな広大な雑木林と日本庭園が広がります。かつての江戸城の本丸などがあった場所で、明治時代から戦前までは宮内庁や皇室関連の施設がありましたが、特別史跡に指定された昭和43年から一般公開されるようになりました。現在も使われているものとして「三の丸尚蔵館」「宮内庁楽部庁舎」等があります。歴史的な遺跡として「同心番所」「百人番所」「松の廊下跡」等ありますが、ひときわ目立つのが「天守閣跡」です。
江戸璃(えどり):この天守閣は三代将軍の家光がかつての大阪城・伏見城をしのぐものとして造ったのだけれど20年後の明暦3年(1657)の大火で燃えちゃって、城跡だけ残ってるのよ。
都区次:時の幕府は再建はしてませんが、何でですか?
江戸璃:物が物だから再建策も持ち上がり幕閣も「おっと合点(がってん) 承知之助(しょうちのすけ)」と合意したのだけれど、家光の弟の保科正之(会津松平家藩主)の反対で「おじゃん」になっちゃったのよ。
都区次:保科正之の反対の理由は何ですか?
江戸璃:この頃には鉄砲の戦術が実用化されてきて、山城や高い天守の城より平城を築くのが「あたりき車力(しゃりき)」になっちゃったのね。山城や高い天守は守るのに都合がよいのだけれど、物資を運びいれる手間が超大変なのよ。この点、平城は手間がかからないわけよ。
都区次:しかし攻められ易いですよね。
江戸璃:これには城壁に鉄砲用の小さな穴を開けておけば平城でも十分に対応できたのよ。
都区次:鉄砲を守りの道具として使ったわけですね。

(江戸城)
阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍 芭蕉
(天守閣跡)
城跡の抜け穴談義冬の雷 山尾かづひろ

私のジャズ(3)

ジャケットで買う
松澤龍一

MINK IN HI-FI(RCA Victor LPM-1533)より












昔のレコードはジャケットも、製作者の意図や主張を感じさせてくれるものが多かった。今のCDと大きさも違い、厚めの紙で出来ているため、色々な趣向を凝らすことができたのだろう。このジャケットを見た時はギクッとした。この下卑さ加減、胡散臭さ、一体これは何だ、衝撃的だった。今から30年以上前、確か新宿の古レコード屋、コタニかオザワだったと思う。内容も確かめず衝動買いをしてしまった。Monique Van Voorenと言う女性歌手のMINK IN HI-FIと題されたアルバムである。Monique と言う歌手はベルギー生まれでベルギーのフィギュアスケートのチャンピオンになり、その後アメリカに渡り歌手としてデビューしたとジャケットには書いてある。聴くと英語やフランス語、あるいはそのチャンポンで唄ったり、シャンソンもあったりジャズ風もあったりと、案の定胡散臭さ、この上も無いものであった。その中で一曲、My Manを唄っている。元々はシャンソンで、ビリー・ホリデイが唄い、彼女の持ち唄になったものである。Moniqueの唄うMy Manはひどい。ビリーホリデイの名唱を冒涜するものである。思わず窓から投げ捨てそうになる。でも、このジャケットは捨てがたい。
************************************************
追加掲載(120104)
あった! モニカの動画。やっぱり、スケート選手?