■ 俳枕 江戸から東京へ(164)
山尾かづひろ 読む⇒
■ 尾鷲歳時記(161)
内山 思考 読む⇒
2014年2月23日日曜日
俳枕 江戸から東京へ(164)
山手線・日暮里(その64)
根岸(上根岸83番地の家(46)「子規庵」)
文:山尾かづひろ
都区次(とくじ):前回は愛染かつらの自性院と泥舟の墓の大雄寺でしたが、今回は何処へ案内してくれますか?
坂の名のさんさき坂よ梅三分 畑中あや子
江戸璃(えどり):前回の自性院と大雄寺に行った時に三崎(さんさき)坂が見えたので、そちらの方へ行くわよ。目に入って思い出した時に行かないと忘れちゃうからね。今度の全生庵(ぜんしょうあん)も大矢白星師に案内してもらった場所だけれど、墓地に入ると三遊亭円朝の墓と山岡鉄舟とが際立った大きさで並んでいるのよ。臨済宗のこの寺は、明治16年に山岡鉄舟の創建にかかるのよ。円朝は鉄舟が贔屓にしていた落語家で、鉄舟との縁でここに墓があるのよ。鉄舟は旧幕臣、西郷隆盛と勝海舟との会談を斡旋して、江戸を無血開城に導いた恩人で、後に明治天皇の侍従となったのよ。また円朝は人情咄、怪談咄に秀で、現在でも旧盆の頃には、この全生庵で幽霊画展が開かれるわよ
都区次:ところで黄昏れてきましたが今日はどこへ行きますか?
江戸璃:秋葉原の居酒屋の「赤津加」で熱燗を飲みたくなっちゃった。
都区次:いいですね。行きましょう。
剣豪の眠る墓あり木の芽立つ 長屋璃子(ながやるりこ)
冴え返る朝がまた来る尾長鳴く 山尾かづひろ
根岸(上根岸83番地の家(46)「子規庵」)
文:山尾かづひろ
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全生庵 |
都区次(とくじ):前回は愛染かつらの自性院と泥舟の墓の大雄寺でしたが、今回は何処へ案内してくれますか?
坂の名のさんさき坂よ梅三分 畑中あや子
江戸璃(えどり):前回の自性院と大雄寺に行った時に三崎(さんさき)坂が見えたので、そちらの方へ行くわよ。目に入って思い出した時に行かないと忘れちゃうからね。今度の全生庵(ぜんしょうあん)も大矢白星師に案内してもらった場所だけれど、墓地に入ると三遊亭円朝の墓と山岡鉄舟とが際立った大きさで並んでいるのよ。臨済宗のこの寺は、明治16年に山岡鉄舟の創建にかかるのよ。円朝は鉄舟が贔屓にしていた落語家で、鉄舟との縁でここに墓があるのよ。鉄舟は旧幕臣、西郷隆盛と勝海舟との会談を斡旋して、江戸を無血開城に導いた恩人で、後に明治天皇の侍従となったのよ。また円朝は人情咄、怪談咄に秀で、現在でも旧盆の頃には、この全生庵で幽霊画展が開かれるわよ
都区次:ところで黄昏れてきましたが今日はどこへ行きますか?
江戸璃:秋葉原の居酒屋の「赤津加」で熱燗を飲みたくなっちゃった。
都区次:いいですね。行きましょう。
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山岡鉄舟の墓 |
剣豪の眠る墓あり木の芽立つ 長屋璃子(ながやるりこ)
冴え返る朝がまた来る尾長鳴く 山尾かづひろ
尾鷲歳時記(161)
バチとツメ
内山思考
珍しく庭にいる妻芽木の風 思考
沖縄から帰って、やっとこちらの気候に慣れてきたと思ったら、待っていたぞとばかり冬将軍の残党?が大暴れ。全国的な寒波の余波は割と温暖なはずの東紀州にも影響を及ぼし、今でも大台の山並みは雪を輝かせている。先日、上阪する娘が乗り捨てた車を駅まで取りに行った。那覇の散策習慣があるから1、2キロは遠く感じない。めったに歩いて通る所では無いので、途中、木工所の展示が気になって店内を覗かせて貰った。
ご主人の山本さんは、昭和九年生まれだそうだがとても元気な人で、いろいろ話してくれた。昔から尾鷲のヒノキは、高温多雨の環境条件により目が詰まり木肌の美しい一級品として名高い。かつては建築用材としてはもとより、日常に使用する様々な物の素材としてヒノキは有効であった。しかし、その伝統も時代と共に流れ行こうとしているようだ。押し寿司の箱、風呂の腰掛け、短冊掛けなどの他に棚に太鼓のバチがたくさん立ててあった。
名曲「尾鷲節」の伴奏に尾鷲太鼓は欠かせない、当然バチは必需品だ。長さは規格のようだが材質は、最近ヒノキより朴の方が人気だという。理由は尾鷲節の場合、太鼓のカテ(縁)を叩くことが多いからだそうだ。擬音で表現すると「ドンカラカッカ」の 「カラカッカ」のところである。ただドンドン打つだけならヒノキでもええんやけど、とは後で聞いた太鼓名人の話である。バチは樫、ケヤキなどもあり曲によって替えることもあるという。技術を突き詰めると、素人にはわからぬ深い世界があるのだと思った。
及ぶべくもないが、少しだけそんな気持ちがわかる出来事があった。タカシさんに貰った三線を久しぶりに取り出して「安里屋ユンタ」を復習った時、いつもはギター用ピックを使うのだが、ふと思いついて一緒に貰った水牛の角で爪弾いた。すると驚くほど音色が変化したのである。例えるとしたら2Dと3Dの差か。三線奏者が親指程の水牛の角をツメとして使う訳がわかったような気がした。
内山思考
珍しく庭にいる妻芽木の風 思考
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山本さんの持っているバチ 右から檜、朴、欅 |
沖縄から帰って、やっとこちらの気候に慣れてきたと思ったら、待っていたぞとばかり冬将軍の残党?が大暴れ。全国的な寒波の余波は割と温暖なはずの東紀州にも影響を及ぼし、今でも大台の山並みは雪を輝かせている。先日、上阪する娘が乗り捨てた車を駅まで取りに行った。那覇の散策習慣があるから1、2キロは遠く感じない。めったに歩いて通る所では無いので、途中、木工所の展示が気になって店内を覗かせて貰った。
ご主人の山本さんは、昭和九年生まれだそうだがとても元気な人で、いろいろ話してくれた。昔から尾鷲のヒノキは、高温多雨の環境条件により目が詰まり木肌の美しい一級品として名高い。かつては建築用材としてはもとより、日常に使用する様々な物の素材としてヒノキは有効であった。しかし、その伝統も時代と共に流れ行こうとしているようだ。押し寿司の箱、風呂の腰掛け、短冊掛けなどの他に棚に太鼓のバチがたくさん立ててあった。
名曲「尾鷲節」の伴奏に尾鷲太鼓は欠かせない、当然バチは必需品だ。長さは規格のようだが材質は、最近ヒノキより朴の方が人気だという。理由は尾鷲節の場合、太鼓のカテ(縁)を叩くことが多いからだそうだ。擬音で表現すると「ドンカラカッカ」の 「カラカッカ」のところである。ただドンドン打つだけならヒノキでもええんやけど、とは後で聞いた太鼓名人の話である。バチは樫、ケヤキなどもあり曲によって替えることもあるという。技術を突き詰めると、素人にはわからぬ深い世界があるのだと思った。
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水牛の角で出来た三線のツメとピック |
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